南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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城内・安全区外(2)

投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/01/18 22:28 投稿番号: [8442 / 41162]
> 国際委員会は難民全員に食糧を供給していたわけではありません。

  国際委員会は20万人(後に25万人)の難民に配給する食糧のことで、日本軍にしつこく抗議していますけど?

> 上海国際基督教評議会ボイントン様
> 「−現在五万人の難民に毎日無料で米を配っています。−」
> 1938年1月18日   フィッチ

  これは国際委員会が用意した収容所に保護した難民に対する配給の話ですね。
  彼らは自分たちの保護した難民を管理するだけでは満足できず、収容所に入りきれなかった市民を含めた全市民に対する食糧配給の権限を要求していたのですよ。

> 実際には起きなかったことを仮定して、これを否定しているに過ぎません。

  そうですけど? < 実際に起きなかったこと
  ついでに言えば、城壁内・安全区外から5万人の難民が安全区に流入したという仮定も、これまでのところ根拠が提示されていませんよ。(城壁外から流入したのであれば、南京市の人口は増えた、ということになりますね。)
  それこそ、ラーベが自分の目で5万人の難民を城壁内・安全区外で確認した、とでも主張するのでない限り。
  国際委員会の人口認識が20万人から25万人に上方修正されたのは良民証の発行数から推定したものということは、ラーベ自身が述べていることです。
  国際委員会が自分で確認したことではありません。
  国際委員会が用意した難民収容所の収容力は5万人前後(『南京安全地帯の記録』に収録。それでも、6万人以上を詰め込んでいたという記録もあるようですね)で、それ以外の市民について正確な人口を把握できていたわけではありません。
  3月から4月にかけてのスマイスの調査によって、ようやく20万人〜25万人の推定が間違いではなかったことを統計的に確認したに過ぎませんよ。
  国際委員会の人口推定が20万人から25万人に増えたからといって、それが城内の安全区外から流入した難民によるものだなんて結論にはなりません。
  ラーベ日記は、「城壁内・安全区外に暴行の対象となる多数の市民がいた」という根拠にはならない、というのが結論ですな。

  No.8410で貴方が挙げている他の「当時の記録」も、とてもじゃありませんが根拠とするには不足です。

・ニューヨークタイムズ記事   1937年12月19日   ダーディン
  これは攻城中・陥落前の出来事ですね。
  陥落時、城壁内・安全区外に市民が残存していた記録ではありませんし、そもそも攻城戦の最中に安全区外の自宅に待機していた市民の数なんてダーディンに観測できたはずがありません。

・ヒトラーへの上申書   ジョン=ラーベ
  「確かめることができなかった」、と報告者であるラーベ自身が言っているではありませんか。

・佐藤増次   歩兵第九連隊第一大隊本部先任書記「証言による南京戦史(8)」
  「市街では住民を見なかったが」
  昼間、外では住民の姿を見なかったということですね。
  「大隊本部の宿舎付近の民家の奥には、各家に一〜二名の住民が残っており」
  冨沢繁信著『南京事件の核心』掲載の地図によると、12/13及び12/14夜、歩兵第九連隊の内、城内に宿営したのは第2大隊、第3大隊で(市内東部・軍官学校)、第1大隊は城壁外でした。
  その後、第九連隊の所属する京都旅団は城外の掃討及び警備に当たっています。

・城島赳夫   戦車第一中隊長
  はて?   民家の戸は閉まっていたのに(こういう書き方をするということは、当然窓も閉まっていたものと思われる)城島氏はいったい何処から残留住民を観察したのでしょう?

  どれも、ゼロではなかったかもしれないが事実上無人地帯、という多数派証言の認識に変更を要求する材料とは思えません。
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