南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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全部タイトルが同じじゃあ紛らわしいですが

投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/01/18 20:53 投稿番号: [8439 / 41162]
>あの面積で50万とはどんな都市でしょうね。

安全区の面積は世田谷区ぐらいと言われますが、現在の世田谷区の人口は
80万人余です。
南京城内全体では山手線の内側ぐらいの面積で、平時人口は100万だったと
言われています。
1936年12月 1,006,968人(警察庁及市政府調査)
1937年3月 1,019,667人 200,810戸 (首都警察庁調べ)
別におかしくありません。
もちろん、おかしくないかどうかと、実際にそうだったかどうかは別の話です。

>スマイスによる連行された人数ですね。殺害処分が適当だったかはわかりませんが、他の方法として思いつくのは、1.武装をひん剥いて釈放、2.強行突入による戦闘、ぐらいなんですが他になんかあります?

上海派遣軍の中山参謀はのちに東京裁判で承認として次のように述べています。

東京裁判速記録   弁護側反証

○サトン検察官   南京安全地区国際委員会は、南京において支那軍が降伏した後におきまして、揚子江の岸で三万人ぼかりの支那兵が殺され、その殺された支那兵の埋葬について処置したのではありませんか。
○中山証人   そういうことは承わつておりません。但し次のようなことが誤り伝えられたものと考えられるのであります。安全地区内に一部の破(敗)れた兵が潜んでおりまして、しかも武器を持つて潜んでおつたのでありますから、これを探し出しまして、すなわち軍法会議にかけて処断したということはあるいはあつたと思います。それを大袈裟に伝えられたものと思います。
○サトン検察官   彼らが射殺される前に、軍法会議にまわされたのは、幾人でありましたか。
○中山証人   数は覚えておりません。
○サトン検察官   あなたの宣誓口述書の十九節において、「南京で俘虜約五千くらいおつたように聞いていますが云々、そうして適宜、揚子江彼岸に釈放したとのことであります。」と述ぺております。しかしながら南京の揚子江の向う岸に着いたという者は、揚子江の南岸において日本兵のために射殺された支那兵の死体が漂流して、向こう岸に着いたその死体であったのではありませんか。
○中山証人   そういうようなことは絶対にありません。当時数十万の軍隊が、南京附近に集つておりまして、その食糧にさえ日本軍は困つておった状態で、支那の俘虜に食わすだけの食糧はどうしてもなかったのであります。なお当時大本営の方針といたしましては、日支事変を拡張、拡大させないという考えでありまして、中支那方面軍は、南京を占領したならぱ、その地域を確保せいというような考えのように承つておりましたので、派遺軍は俘虜を揚子江の北岸に釈放した、いな追放したと考えます。
(日中戦争資料集8 P215-216)

中山参謀の弁護通り、基本的には釈放、戦争犯罪の嫌疑があれば軍法会議
(軍律裁判)に掛けた上での処刑。
この通りに行われていれば、「虐殺」と呼ばれるいわれはなかったのです。


>目撃談はいくらでも引っ張ってきてもらってかまいませんが、我々がすべきはそれらから主観を取り除き客観で判断することだと思います。相当、酷い、凄い、かなり、これらの言葉からわかることはほとんどありません。

具体的な数値についてはスマイス調査に記載されています。
Higetaさんのmsg7962が、その部分の説明になっています。

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