Re: 満州開拓史?(横)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/01/17 22:49 投稿番号: [8414 / 41162]
>彼らは満州では相当過酷な体験をしたそうです
そう、そう。
[読者手記 53編] 文藝春秋・特別号 '83・9掲載
昭和20年8月20日頃であったろうと思う。・・・(中略)・・・ぶきみという程静かな日が続いていたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。
そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。次の女性はモンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も、教養も平和な中にのみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ。
・・・(中略)・・・1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った。銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
・・・(中略)・・・また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い出す。
>それを知りながら、日本の民間人、婦女子を満州に置き去りにして、さっさと逃げてしまった日本軍人の話は有名。
オマエ、本当に何も知らずに日本の悪口ばっかり垂れ流しているんだな。
満州の対ソ戦
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-taiso2.html
(一部抜粋)
居留民後退の問題
それでも9日には在留邦人の後送に着手し一般邦人を先に送り出そうとしたが、
既に生活拠点を有する民間人は直ちに乗車などできない状況にあり、
満州は内地よりも安全と考えられていたことも手伝って遅々として進まなかった。
一刻の猶予もない状況下ではやむを得ず、緊急集合が容易な軍人・軍属の家族を主体に一番列車に乗せ、
10日 0140には新京駅を出発した。
だがこのことは後に、関東軍は軍人家族を最初に後退させた、として非難されることとなった。
東部方面(第1方面軍)の戦闘
第126、第135師団主力とともに15日夕までソ連軍の侵攻を阻止し、
この間に牡丹江在留邦人約6万人の後退を完了することができた。
牡丹江東側陣地の防御が限界に達した第5軍は、17日までに60キロ西方に後退、そこで停戦命令を受けた。
虎頭陣地の戦闘
完全包囲下の中で守備隊は主として夜間斬り込み、肉薄攻撃を反復敢行、
8月26日に至り避難民を含めほとんど全員が壮烈なる戦死を遂げた。
陣地にあった約1900名(含居留民)中、内地に帰還し得た者、わずかに53名であった。
北及び北西方面(第4軍)の戦闘
第119師団は停戦するまでソ連軍の突破を阻止し、その結果邦人主力のハイラル在住者は
ソ連軍に後方を遮断される前に後退することができたのである。
〆 〆 〆
「同胞4万救出作戦」
内蒙古在住4万人の同胞をソ連軍から守ろうと、日本軍将兵が立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog357.html
こうして、投降し、ソ連軍によってシベリアに強制連行された日本人は100万人以上。
そのうち、50万人以上がシベリアで殺され、日本には帰って来れなかったのだ。
そう、そう。
[読者手記 53編] 文藝春秋・特別号 '83・9掲載
昭和20年8月20日頃であったろうと思う。・・・(中略)・・・ぶきみという程静かな日が続いていたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。
そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。次の女性はモンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も、教養も平和な中にのみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ。
・・・(中略)・・・1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った。銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
・・・(中略)・・・また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い出す。
>それを知りながら、日本の民間人、婦女子を満州に置き去りにして、さっさと逃げてしまった日本軍人の話は有名。
オマエ、本当に何も知らずに日本の悪口ばっかり垂れ流しているんだな。
満州の対ソ戦
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-taiso2.html
(一部抜粋)
居留民後退の問題
それでも9日には在留邦人の後送に着手し一般邦人を先に送り出そうとしたが、
既に生活拠点を有する民間人は直ちに乗車などできない状況にあり、
満州は内地よりも安全と考えられていたことも手伝って遅々として進まなかった。
一刻の猶予もない状況下ではやむを得ず、緊急集合が容易な軍人・軍属の家族を主体に一番列車に乗せ、
10日 0140には新京駅を出発した。
だがこのことは後に、関東軍は軍人家族を最初に後退させた、として非難されることとなった。
東部方面(第1方面軍)の戦闘
第126、第135師団主力とともに15日夕までソ連軍の侵攻を阻止し、
この間に牡丹江在留邦人約6万人の後退を完了することができた。
牡丹江東側陣地の防御が限界に達した第5軍は、17日までに60キロ西方に後退、そこで停戦命令を受けた。
虎頭陣地の戦闘
完全包囲下の中で守備隊は主として夜間斬り込み、肉薄攻撃を反復敢行、
8月26日に至り避難民を含めほとんど全員が壮烈なる戦死を遂げた。
陣地にあった約1900名(含居留民)中、内地に帰還し得た者、わずかに53名であった。
北及び北西方面(第4軍)の戦闘
第119師団は停戦するまでソ連軍の突破を阻止し、その結果邦人主力のハイラル在住者は
ソ連軍に後方を遮断される前に後退することができたのである。
〆 〆 〆
「同胞4万救出作戦」
内蒙古在住4万人の同胞をソ連軍から守ろうと、日本軍将兵が立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog357.html
こうして、投降し、ソ連軍によってシベリアに強制連行された日本人は100万人以上。
そのうち、50万人以上がシベリアで殺され、日本には帰って来れなかったのだ。
これは メッセージ 8405 (fukagawatohei さん)への返信です.