ラーベも工作員だったことは紛れもない事実
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/01/14 10:21 投稿番号: [8321 / 41162]
>普通に考えてくれ。
>現代社会で、警察官や新聞記者が事故や殺人の現場に居合わせることはまず
>ないが、彼らは事件事故の存在を知っている。
同盟通信・前田雄二記者の証言
「虐殺とは戦争に関係ない住民や婦女子をむげに殺害することだろう。
ところが殺されなければならない住民婦女子は(難民区)内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
私の所属していた同盟通信の旧支局はその中にあった。
入城四日目には私たちは全員この支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。
つまり難民区内が私たちの生活圏内で、すでに商店が店を開き、露天商や大道芸人まで出て、日常生活が回復していた。
この地区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。
こういう中で、万はおろか、千、百、あるいは十をもって数えるほどの虐殺など行われようはずがない。
もしあれば、私たちが見逃すはずがない」
>何のための対比かを考えると、「中略」で済ませるべきところじゃあないだろう。
「数千人」とか「5万人から6万人」の犠牲者と対比するには、「中略」で済ませて十分だよ。
殺人と言っても、12月17日の時点では、便衣兵処刑とか、僅か数件しかない支那人たちの一方的な通報以外に有り得ないのだから。
>私は、これに該当する文書を知りませんので、出典がはっきりしてるのなら
>教えていただきたい。
>多分、1938年1月14日付のマイアー、ジーメンス社社長への手紙の写
>しをドイツ外務省が保管している分のことと思います。
「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六六─一六七頁。検察側書証として提出された「一九三八年一月十四日付の、上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」には次のように記されている。
「日本軍当局はその部隊に対して明らかに命令権を失ったごとく、部隊は占領後数週間にわたり、市街を掠奪し、約二万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民(その中には発電所の四十三名の従業員を含む)を残虐な方法によって殺害し(機関銃火による大量殺人は人道的処刑の中に数えられる)、また外国人居住地区に侵入することを梼躇せず・・・・・・」
『再審「南京大虐殺」』より
日本大使館への抗議文などにはない話を、ドイツ上海総領事やジーメンス社社長に書き送るのは安全区国際委員長としては、あるまじき行為だな。
どうやら、ラーベも嘘吐き宣伝工作員だったことは確実だな。
>「民間人の死者」の総数と、「赤貧に陥っている家族」の数が違っていると
嘘つきになるのかね?
了解。
確かにこれだけでは断定までは出来ない。
>日記によればラーベは龍大佐から「預けた金は残された負傷兵の救護のための
>ものだ、協力して下さい。」と、言われている。
大体、ラーベが、安全区内の自宅に、龍大佐と周大佐を潜伏させていたこと自体が、「ラーベ」=「支那軍の工作員」の証だろ。
>ゲシュタポに拘束されて、体験談を広めないように口止めされたのだ。
デマを言い触らさないように口止めされたんだろ。
>これについては、少しニュアンスが違う、シャルフェンベルクは
>「日本人も中国人もどうせ野蛮人なのだから、一方の出来事だけ聞いて
>肩入れしても、裏切られるぞ」と言う意味で発言しているのだ。
よく分からんが、ラーベが、一方の出来事だけ聞いて肩入れしていたのは紛れもない事実じゃん。
>今日では「南京事件」について語ることを禁じたナチスよりも、
>難民の保護に奔走したラーベの方が「義の人」として讃えられて
>いるわけだ。
共産支那からね。
>現代社会で、警察官や新聞記者が事故や殺人の現場に居合わせることはまず
>ないが、彼らは事件事故の存在を知っている。
同盟通信・前田雄二記者の証言
「虐殺とは戦争に関係ない住民や婦女子をむげに殺害することだろう。
ところが殺されなければならない住民婦女子は(難民区)内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
私の所属していた同盟通信の旧支局はその中にあった。
入城四日目には私たちは全員この支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。
つまり難民区内が私たちの生活圏内で、すでに商店が店を開き、露天商や大道芸人まで出て、日常生活が回復していた。
この地区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。
こういう中で、万はおろか、千、百、あるいは十をもって数えるほどの虐殺など行われようはずがない。
もしあれば、私たちが見逃すはずがない」
>何のための対比かを考えると、「中略」で済ませるべきところじゃあないだろう。
「数千人」とか「5万人から6万人」の犠牲者と対比するには、「中略」で済ませて十分だよ。
殺人と言っても、12月17日の時点では、便衣兵処刑とか、僅か数件しかない支那人たちの一方的な通報以外に有り得ないのだから。
>私は、これに該当する文書を知りませんので、出典がはっきりしてるのなら
>教えていただきたい。
>多分、1938年1月14日付のマイアー、ジーメンス社社長への手紙の写
>しをドイツ外務省が保管している分のことと思います。
「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六六─一六七頁。検察側書証として提出された「一九三八年一月十四日付の、上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」には次のように記されている。
「日本軍当局はその部隊に対して明らかに命令権を失ったごとく、部隊は占領後数週間にわたり、市街を掠奪し、約二万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民(その中には発電所の四十三名の従業員を含む)を残虐な方法によって殺害し(機関銃火による大量殺人は人道的処刑の中に数えられる)、また外国人居住地区に侵入することを梼躇せず・・・・・・」
『再審「南京大虐殺」』より
日本大使館への抗議文などにはない話を、ドイツ上海総領事やジーメンス社社長に書き送るのは安全区国際委員長としては、あるまじき行為だな。
どうやら、ラーベも嘘吐き宣伝工作員だったことは確実だな。
>「民間人の死者」の総数と、「赤貧に陥っている家族」の数が違っていると
嘘つきになるのかね?
了解。
確かにこれだけでは断定までは出来ない。
>日記によればラーベは龍大佐から「預けた金は残された負傷兵の救護のための
>ものだ、協力して下さい。」と、言われている。
大体、ラーベが、安全区内の自宅に、龍大佐と周大佐を潜伏させていたこと自体が、「ラーベ」=「支那軍の工作員」の証だろ。
>ゲシュタポに拘束されて、体験談を広めないように口止めされたのだ。
デマを言い触らさないように口止めされたんだろ。
>これについては、少しニュアンスが違う、シャルフェンベルクは
>「日本人も中国人もどうせ野蛮人なのだから、一方の出来事だけ聞いて
>肩入れしても、裏切られるぞ」と言う意味で発言しているのだ。
よく分からんが、ラーベが、一方の出来事だけ聞いて肩入れしていたのは紛れもない事実じゃん。
>今日では「南京事件」について語ることを禁じたナチスよりも、
>難民の保護に奔走したラーベの方が「義の人」として讃えられて
>いるわけだ。
共産支那からね。
これは メッセージ 8316 (ja2047 さん)への返信です.