吉田三郎氏のこと
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/12/15 06:26 投稿番号: [7908 / 41162]
>内容が薄かったんでレスを書くのが簡単でしたw
年末は何かと用向きが多いものでね、時間が取れないのはご容赦を m(_“_)m
>これはスマイスのレポートが中国のことを良く知る当時の人々が納得するであろうと考えて書かれた物か、中国>のことを良く知らない人々を納得させることが出来るであろうと考えて書かれた物か、に関する例示です。
スマイス調査の前書きにはこうあります。
「南京国際救済委員会はここに調査の結果を公表するのであるが、これは第一に当地区その他で救援事業にたずさわっている関係者への情報提供を目的としている。」
基礎情報が事実に反していたら、関係者を納得させることはできません。
>単に気候と病気と農業に関することではなく、スマイス報告全般に関わる見解です。
つまり、私の指摘通り、
「南京地区農村部における戦争被害」の報告書を「プロパガンダ」の専門家で
ある吉田三郎氏が読んだわけですから、「調査の学問的な妥当性」ではなくて
「プロパガンダの有効性」の方に着目する、これは仕方がないことだと思います。
ということで、よろしいわけですね。
>吉田三郎氏は1940年当時、文部省直属の研究機関・国民精神文化研究所の所員で各国の文化戦略や思想戦略を研究していました。
(『「南京事件」の探求』P175)
はい、私の指摘通り、 「中国の農業問題」の専門家じゃあなくて「プロパガンダ」の専門家
ということで、いいわけですね。
>“WAR DAMAGE IN THE NANKING AREA”を入手した経緯は以下の通りです。
「・・・吉田三郎は調査に訪れた上海で、日本キリスト教青年会を通じてアメリカ長老教会のミリカン夫人を知り、さらに同夫人から南京のベイツ教授への紹介状を貰い南京を訪れた。そしてベイツ教授から南京における救済事業の説明をうけるとともに、資料として『スマイス報告』を手渡されたのである。」
>残念でしたね。
つまり私の書いた中では
「どうも吉田氏はスマイス調査をベイツ博士から直接手に入れたようですが、吉田氏が南京を
訪れてベイツを訪問したのだとしても、農村部にまで足を運んだようには思えません。」
の方がアタリだったようです。
吉田氏のスマイス調査入手は1938年秋から1940年春までの間のことのようです、
南京戦直後の南京農村部のことには知見がないということでよろしいかと思います。
>プロパガンダのコツは、真実を適度に織り込むこと。
>敵のプロパガンダに対抗する有効な手段は、真実に混ぜられた虚偽を立証すること。
>このくらい、いちいち説明されなくても理解できるでしょ?
吉田氏はプロパガンダ専門家として、ここでアンチ・プロパガンダをやってるんだ
ということぐらいは判りますよ。
>なお、吉田三郎氏は上海帰還後、ミリカン夫人からこういうアドバイスも受けています。
「あれ(『What War Means』)はあまりよい本ではない。あの書物は熱を以て書かれているのだから、歴史家があれをそのまま談じては困る。あなた方は歴史家であるから、もっと客観的にものをみなければならない。あれも一つの材料ではあるけれども、ああいうものが全部であると思われては困る」
(『「南京事件」の探求』P177)
中国を良く知る中国在住の当時の人の、『What War Means』に対する見解でした。
ミリカン夫人の直接の発言を記録したものを知りませんので、この吉田氏の発言の中において、
「プロパガンダのコツは、真実を適度に織り込むこと。」 が、どの程度行われているのか不明ですが、
『What War Means』に対する北村教授自身の見解はこうですね。
「ティンパリーのWHAT WAR MEANS、『英文中国年鑑』など代表的な国民党の戦時対外刊行物には、予想に反し事実のあからさまな脚色は見いだせなかった。残虐行為の暗示や個人的正義感に基づく非難は見られるが、概ねフェアーな記述であると考えてよいのではないか。」(「南京事件の探求」 P124 北村稔 文春新書)
”概ねフェアーな記述”なのだそうだよ。
年末は何かと用向きが多いものでね、時間が取れないのはご容赦を m(_“_)m
>これはスマイスのレポートが中国のことを良く知る当時の人々が納得するであろうと考えて書かれた物か、中国>のことを良く知らない人々を納得させることが出来るであろうと考えて書かれた物か、に関する例示です。
スマイス調査の前書きにはこうあります。
「南京国際救済委員会はここに調査の結果を公表するのであるが、これは第一に当地区その他で救援事業にたずさわっている関係者への情報提供を目的としている。」
基礎情報が事実に反していたら、関係者を納得させることはできません。
>単に気候と病気と農業に関することではなく、スマイス報告全般に関わる見解です。
つまり、私の指摘通り、
「南京地区農村部における戦争被害」の報告書を「プロパガンダ」の専門家で
ある吉田三郎氏が読んだわけですから、「調査の学問的な妥当性」ではなくて
「プロパガンダの有効性」の方に着目する、これは仕方がないことだと思います。
ということで、よろしいわけですね。
>吉田三郎氏は1940年当時、文部省直属の研究機関・国民精神文化研究所の所員で各国の文化戦略や思想戦略を研究していました。
(『「南京事件」の探求』P175)
はい、私の指摘通り、 「中国の農業問題」の専門家じゃあなくて「プロパガンダ」の専門家
ということで、いいわけですね。
>“WAR DAMAGE IN THE NANKING AREA”を入手した経緯は以下の通りです。
「・・・吉田三郎は調査に訪れた上海で、日本キリスト教青年会を通じてアメリカ長老教会のミリカン夫人を知り、さらに同夫人から南京のベイツ教授への紹介状を貰い南京を訪れた。そしてベイツ教授から南京における救済事業の説明をうけるとともに、資料として『スマイス報告』を手渡されたのである。」
>残念でしたね。
つまり私の書いた中では
「どうも吉田氏はスマイス調査をベイツ博士から直接手に入れたようですが、吉田氏が南京を
訪れてベイツを訪問したのだとしても、農村部にまで足を運んだようには思えません。」
の方がアタリだったようです。
吉田氏のスマイス調査入手は1938年秋から1940年春までの間のことのようです、
南京戦直後の南京農村部のことには知見がないということでよろしいかと思います。
>プロパガンダのコツは、真実を適度に織り込むこと。
>敵のプロパガンダに対抗する有効な手段は、真実に混ぜられた虚偽を立証すること。
>このくらい、いちいち説明されなくても理解できるでしょ?
吉田氏はプロパガンダ専門家として、ここでアンチ・プロパガンダをやってるんだ
ということぐらいは判りますよ。
>なお、吉田三郎氏は上海帰還後、ミリカン夫人からこういうアドバイスも受けています。
「あれ(『What War Means』)はあまりよい本ではない。あの書物は熱を以て書かれているのだから、歴史家があれをそのまま談じては困る。あなた方は歴史家であるから、もっと客観的にものをみなければならない。あれも一つの材料ではあるけれども、ああいうものが全部であると思われては困る」
(『「南京事件」の探求』P177)
中国を良く知る中国在住の当時の人の、『What War Means』に対する見解でした。
ミリカン夫人の直接の発言を記録したものを知りませんので、この吉田氏の発言の中において、
「プロパガンダのコツは、真実を適度に織り込むこと。」 が、どの程度行われているのか不明ですが、
『What War Means』に対する北村教授自身の見解はこうですね。
「ティンパリーのWHAT WAR MEANS、『英文中国年鑑』など代表的な国民党の戦時対外刊行物には、予想に反し事実のあからさまな脚色は見いだせなかった。残虐行為の暗示や個人的正義感に基づく非難は見られるが、概ねフェアーな記述であると考えてよいのではないか。」(「南京事件の探求」 P124 北村稔 文春新書)
”概ねフェアーな記述”なのだそうだよ。
これは メッセージ 7894 (nmwgip さん)への返信です.