南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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仏印進駐の真相

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/09/18 11:25 投稿番号: [7463 / 41162]
●仏本国が独に降伏したので、仏領インドシナ総督は対日関係を好転させるために仏印経由の蒋介石支援ルートの遮断を日本側に申し入れた。
日本はシナ事変を早期に終結させるために援蒋ルートの遮断を要求していたので歓迎し、援蒋ルート遮断の実行を確認するためにフランスとの協定に基づいて仏印に進駐した。(1940年9月23日)
すると、米国は屑鉄の対日輸出を全面的に止めた。

●さらに、タイと仏印との間で国境紛争が起こると、日本は、間に立って停戦協定を成立させ、東京のタイ・仏印国境紛争調停会議で調停が成功し1941年年3月11日タイ・フランス平和条約が成立。
すると、米英は苦々しく思い、ますます経済制裁を強めようとした。
当時、日本が最も多く石油を買っていた相手先は米国だったが、米国は理不尽にも戦争を続けさせる支那を支援し日本へ制裁をしたため、日本は南部仏印に進駐する約1年前の1940年7月からから米国に代わる石油供給源を求めようとして蘭印政府と交渉を始めた。
ところが蘭印政府は、既に米国政府から対日圧迫の協力を求められており、日本へは強硬姿勢を貫いた。
米国は、日本と蘭印間で交渉が行われている最中に、日本軍侵入の際にはすべての油田を破壊する命令を現地米総領事が出し、米陸軍も80機の戦闘機を派遣した。
英・米・蘭の結託で日本にとって必要な資源が手に入らなくなり、その為、日本は南方に資源を確保する必要に迫られた。
日本は、戦略物資の豊富な南部仏印が、米英に占領される事態を予防するために南部仏印への進駐に踏み切った。(1941年7月28日)

日本の全面屈服か戦争かを求めていた米国は、石油の全面禁輸、日本資産の凍結という報復手段に出た。(1941年8月1日)
しかも、南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。
米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。


●日本の南部仏印進駐のもう一つの要因で、実は最大に目的は、「援蒋ルートを遮断してシナ事変を解決する」ことだった。
英国はビルマルートから支那に武器の輸送を盛んに行なっていた。
南部仏印進駐も英国によるビルマ経由の援蒋ルートを遮断してシナ事変を解決するために仏印政府と交渉して平和裏に行った。

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参謀本部の田中第一部長は手記に、「仏印、タイを我が軍事的結合圏内にすみやかに編入するため、取りあえず、仏印南部に所要の兵力を進駐させる必要がある。
その目的は全仏印の実質的把握…更にタイに、にらみを利かせ…情勢に応じてはビルマに進駐する為の基地とするにある。これによって対支封鎖の陣形は完成される」   と書いている。
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また御前会議の理由書にも
「…最近米国ヲ中心トスル英米蘭支ノ戦略態勢強化…若シ帝国トシテ速ヤカニ之ニ対抗スル措置ヲ執ルコトナク…
日ヲ閲スルニ於テハ…支那事変ノ   解決ハ更ニ遷延スヘク…帝国トシテハ此ノ際仏印・タイ全域ニ渉リ帝国ノ軍事的地歩ヲ先制確保スル要極メテ緊切ナリ…」   とある。
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つまり、真の目的は支那事変の解決だった。
ただその前に英米蘭の妨害があるわけで、日本が生きていくために必要な石油や鉱物資源などを止められ、売ってくれなきゃ、腕ずくでも取るしかなかった。
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