>インドシナ人民が餓死 (嘘垂れ流し)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/09/18 10:37 投稿番号: [7461 / 41162]
>残酷な戦略は人民から食料品、なかでも米を全くの安値で強制的に買い上げたことであった。これは日本軍に供給するとともに戦時ストックにする為であった。
>この政策のせいで飢餓状態が生じ1945年初めにはインドシナ人民が餓死しなければならなかった。(ベトナム人民共和国は餓死者は200万人と報告)
yominokuni56も、足し算を理解しない豚どもと一緒だな。
何度も何度も論証された嘘を、何度も何度も垂れ流すなよ。
上記のキミの投稿内容が嘘であることは、このトピでは#6163で説明されている。
他のトピでも散々非難されていた。
折角だから、披露しよう。
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質問
ベトナムの独立宣言文の中に、「日本軍が北ベトナムに進駐したことにより、200万人の餓死者を出した」と日本を非難しています。そのような事実があったのですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
回答
正確な文面は確認していませんが、1945年のベトナムの独立宣言に、「200万人の人が日本軍の米の強制購入で餓死した」と書かれていたと承知しています。
我々は、このケースについて考えるためにはその頃のインドシナの状況を知らなければなりません。
1940年に、フランスはドイツによって攻撃されました、そして、パリは陥落し、ドイツへ好意的な政府がビッシーに設立されました。それに伴いインドシナはフランスのビッシー政府の支配下に入りました。
大東亜戦争勃発の前、1941年に日本軍はフランスの合意の下にインドシナに進駐しました。今日の日本とアメリカの関係と同じように、フランスが行政権を持っていました。
連合軍は1944年 8月に反攻し、パリを取り戻しました。日本はインドシナ政府の意向を懸念し、インドシナへの兵力増強をおこないました。それに伴い北ベトナムの日本軍も増強されました。
1945年には、日本は1個師団に加え、3個師団をインドシナへ送りました。日本はベトナム南部には3個師団を配置し、北部には1個師団を配置しました。日本は3月9日にクーデターを引き起こして、インドシナの行政権をフランスから奪いました。さらに、4月30日にはヒトラーが自殺しました。
一方、南シナ海の反対側、フィリピンでは、米軍が1944年10月にレイテ島に上陸し、1945年1月にはルソン島に上陸しました。これにより米軍はインドシナ爆撃を行い、北部と南部をつなぐ鉄道を破壊しました。船舶の損害は増加し、インドシナの南北の輸送路は破壊されました。
問題は1944年秋の台風や洪水のため、北部ベトナムの米が不作となったことです。不幸なことに北部より米作が豊かな南部からの輸送路が、米軍により完全に破壊されてしまったのです。フランス支配下のインドシナ政府は打つ手がありませんでした。尚当時はフランス本国は連合軍の支配下に入りましたが、インドシナ政府はビッシー政権により任命された人達がそのまま統治していたのです。
我々は200万人の死者が真実か否かは分かりません。しかし日本軍が配置したのは一個師団、約2万5千人です。2万5千人増加した為、200万人の人々が餓死するということはありません。200万人の餓死者は台風や洪水、米軍の交通手段の破壊によるものです。
>この政策のせいで飢餓状態が生じ1945年初めにはインドシナ人民が餓死しなければならなかった。(ベトナム人民共和国は餓死者は200万人と報告)
yominokuni56も、足し算を理解しない豚どもと一緒だな。
何度も何度も論証された嘘を、何度も何度も垂れ流すなよ。
上記のキミの投稿内容が嘘であることは、このトピでは#6163で説明されている。
他のトピでも散々非難されていた。
折角だから、披露しよう。
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質問
ベトナムの独立宣言文の中に、「日本軍が北ベトナムに進駐したことにより、200万人の餓死者を出した」と日本を非難しています。そのような事実があったのですか。
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回答
正確な文面は確認していませんが、1945年のベトナムの独立宣言に、「200万人の人が日本軍の米の強制購入で餓死した」と書かれていたと承知しています。
我々は、このケースについて考えるためにはその頃のインドシナの状況を知らなければなりません。
1940年に、フランスはドイツによって攻撃されました、そして、パリは陥落し、ドイツへ好意的な政府がビッシーに設立されました。それに伴いインドシナはフランスのビッシー政府の支配下に入りました。
大東亜戦争勃発の前、1941年に日本軍はフランスの合意の下にインドシナに進駐しました。今日の日本とアメリカの関係と同じように、フランスが行政権を持っていました。
連合軍は1944年 8月に反攻し、パリを取り戻しました。日本はインドシナ政府の意向を懸念し、インドシナへの兵力増強をおこないました。それに伴い北ベトナムの日本軍も増強されました。
1945年には、日本は1個師団に加え、3個師団をインドシナへ送りました。日本はベトナム南部には3個師団を配置し、北部には1個師団を配置しました。日本は3月9日にクーデターを引き起こして、インドシナの行政権をフランスから奪いました。さらに、4月30日にはヒトラーが自殺しました。
一方、南シナ海の反対側、フィリピンでは、米軍が1944年10月にレイテ島に上陸し、1945年1月にはルソン島に上陸しました。これにより米軍はインドシナ爆撃を行い、北部と南部をつなぐ鉄道を破壊しました。船舶の損害は増加し、インドシナの南北の輸送路は破壊されました。
問題は1944年秋の台風や洪水のため、北部ベトナムの米が不作となったことです。不幸なことに北部より米作が豊かな南部からの輸送路が、米軍により完全に破壊されてしまったのです。フランス支配下のインドシナ政府は打つ手がありませんでした。尚当時はフランス本国は連合軍の支配下に入りましたが、インドシナ政府はビッシー政権により任命された人達がそのまま統治していたのです。
我々は200万人の死者が真実か否かは分かりません。しかし日本軍が配置したのは一個師団、約2万5千人です。2万5千人増加した為、200万人の人々が餓死するということはありません。200万人の餓死者は台風や洪水、米軍の交通手段の破壊によるものです。
これは メッセージ 7449 (yominokuni56 さん)への返信です.