題名付けるの面倒くさくなってきた
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/09/02 06:31 投稿番号: [7309 / 41162]
>>でりちゃんの所説では、中国軍は完全に皆殺しにされたことになる。
>そんなことは言っていない。
脱出に成功した支那軍がいたのは事実だよ。
よし、事実認識はそれでいい。
>ただ、南京に家族が留まっている支那兵の場合、その家族たちは南京防衛軍に加わっていた夫(父・息子)が南京を逃げ出したとはあまり考えないだろう。
南京戦直後の時点で、首都防衛軍の運命がすべて明かではない以上、
家族がわざわざ自分の肉親が「死んだ」と考える理由はない。
「兵隊に行ったきり帰ってこない、どこでどうしているのか、死んだとは思えない」
というのが普通の感情だろう。
家族が兵士として出ていったきり帰ってこないという訴えが多数あったとは聞かな
いので、事実はこういう議論からは明らかに出来ない。
所詮、でりちゃんの想像と私の想像とどちらが自然かということでしかない。
スマイス調査の数字は、あくまで「日本軍に拉致された者」であり、「戦死」は含まれて
いないという名目になっている。
>『情況』というのは【死亡情況】の中の1項目であり、それとは別に『死亡原因』は「事故」と「戦争」の二者択一になっている。
で、具体的な情況が、いずれかの欄に書き込まれたことは否定できないだろう?
そうでなければまとめの表に「不明」という項目が立っていることが説明できなくなる。
「軍事行動による犠牲」と「軍事行動以外の兵の暴行による犠牲」に該当しないものは
ちゃんと把握されているということだよ。
>南京陥落後、日本軍が迅速かつ徹底した掃蕩戦を行なったことを南京市民は知っているわけであり、南京防衛軍に加わっていた夫(父・息子)が死んだものと思っていた家族は、調査で死亡原因を「戦争」としたんだ。
何度も言うが、これは記入式のアンケートではない、聞き取りによる調査なので、
スマイスが説明する調査方法の通りに行われていれば、その恐れはない。
説明どおりの調査が行われなかったと主張するなら、その証明が必要だ。
>へ?
昭和12年12月16日(第11面)
【南京にて若梅、村上両特派員】
『記者等は十五日朝鼓楼にある有名な金陵大学を訪れた・・・』と記事にあるが。
その「15日」を、私は見落としたわけだが
「12月14日のものか、15日のものかは不明だが、」と言っている以上
論はこれに影響を受けない。
>>第一声として、社交辞令と相手に対する期待を表明するのは不思議ではない。
>市民大虐殺が行われている真っ只中の真っ最中に『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と日本人記者2人に社交辞令を言ったとしたら、ベイツはアホかキチガイだ。
日本軍が城内掃討を始めて二日目の朝、陥落の二日後の朝の話だ、敗残兵摘出は
1月の初めまで続くし、市民への暴行は2月まで続く、3月になっても報告がある。
この時点ではまだ、占領初期のトラブルが早期に収まることを期待していたとして
不思議はない。
新聞に掲載されたこと以外に、苦情に類する発言がなかったかどうかは、当時の
新聞記事からは判らない。
マギー日記には、朝日新聞のナカムラという記者に、「この行いを止めるように報道してくれ」
と頼んだという記述がある。 何日の記述かは忘れた。
>そんなことは言っていない。
脱出に成功した支那軍がいたのは事実だよ。
よし、事実認識はそれでいい。
>ただ、南京に家族が留まっている支那兵の場合、その家族たちは南京防衛軍に加わっていた夫(父・息子)が南京を逃げ出したとはあまり考えないだろう。
南京戦直後の時点で、首都防衛軍の運命がすべて明かではない以上、
家族がわざわざ自分の肉親が「死んだ」と考える理由はない。
「兵隊に行ったきり帰ってこない、どこでどうしているのか、死んだとは思えない」
というのが普通の感情だろう。
家族が兵士として出ていったきり帰ってこないという訴えが多数あったとは聞かな
いので、事実はこういう議論からは明らかに出来ない。
所詮、でりちゃんの想像と私の想像とどちらが自然かということでしかない。
スマイス調査の数字は、あくまで「日本軍に拉致された者」であり、「戦死」は含まれて
いないという名目になっている。
>『情況』というのは【死亡情況】の中の1項目であり、それとは別に『死亡原因』は「事故」と「戦争」の二者択一になっている。
で、具体的な情況が、いずれかの欄に書き込まれたことは否定できないだろう?
そうでなければまとめの表に「不明」という項目が立っていることが説明できなくなる。
「軍事行動による犠牲」と「軍事行動以外の兵の暴行による犠牲」に該当しないものは
ちゃんと把握されているということだよ。
>南京陥落後、日本軍が迅速かつ徹底した掃蕩戦を行なったことを南京市民は知っているわけであり、南京防衛軍に加わっていた夫(父・息子)が死んだものと思っていた家族は、調査で死亡原因を「戦争」としたんだ。
何度も言うが、これは記入式のアンケートではない、聞き取りによる調査なので、
スマイスが説明する調査方法の通りに行われていれば、その恐れはない。
説明どおりの調査が行われなかったと主張するなら、その証明が必要だ。
>へ?
昭和12年12月16日(第11面)
【南京にて若梅、村上両特派員】
『記者等は十五日朝鼓楼にある有名な金陵大学を訪れた・・・』と記事にあるが。
その「15日」を、私は見落としたわけだが
「12月14日のものか、15日のものかは不明だが、」と言っている以上
論はこれに影響を受けない。
>>第一声として、社交辞令と相手に対する期待を表明するのは不思議ではない。
>市民大虐殺が行われている真っ只中の真っ最中に『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と日本人記者2人に社交辞令を言ったとしたら、ベイツはアホかキチガイだ。
日本軍が城内掃討を始めて二日目の朝、陥落の二日後の朝の話だ、敗残兵摘出は
1月の初めまで続くし、市民への暴行は2月まで続く、3月になっても報告がある。
この時点ではまだ、占領初期のトラブルが早期に収まることを期待していたとして
不思議はない。
新聞に掲載されたこと以外に、苦情に類する発言がなかったかどうかは、当時の
新聞記事からは判らない。
マギー日記には、朝日新聞のナカムラという記者に、「この行いを止めるように報道してくれ」
と頼んだという記述がある。 何日の記述かは忘れた。
これは メッセージ 7306 (deliciousicecoffee さん)への返信です.