スマイス調査のトンデモ解釈にウンザリ
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/09/01 21:04 投稿番号: [7306 / 41162]
>12月12日には城内の中国軍は雪崩を打って城外に逃げ出している。
>下関で包囲殲滅されたのは、この守備軍である。
そう。
12月12日の夜、支那軍が適中突破を試み戦闘が始まった。
>脱出に成功した人数については、秦氏は5、6千人、板倉氏は1万4千、
>笠原氏は4万と見ているので、随分幅があるが、
>でりちゃんの所説では、中国軍は完全に皆殺しにされたことになる。
そんなことは言っていない。
脱出に成功した支那軍がいたのは事実だよ。
ただ、南京に家族が留まっている支那兵の場合、その家族たちは南京防衛軍に加わっていた夫(父・息子)が南京を逃げ出したとはあまり考えないだろう。
>先にも述べたが、これは記入式のアンケートではない。
>調査員が面談して調査したのだ、被害の調査票にちゃんと「情況」という項目があり、
>いつ、どこで死んだのか判らないものは、ここが「不明」となる。
『情況』というのは【死亡情況】の中の1項目であり、それとは別に『死亡原因』は「事故」と「戦争」の二者択一になっている。
南京防衛軍に加わっていた夫(父・息子)の家族が、夫(父・息子)が南京を逃げ出したと思わない限り、スマイス調査では「戦争が原因で死亡した」と回答しただろう。
そもそも、死んだ時の様子を目撃したり確認しない限り「不明」としてしまうなら、戦争被害調査の殆どが「不明」になってしまい、「事故」と「戦争」の二者択一の死亡原因が何のためにあるのか分からなくなる。
南京陥落後、日本軍が迅速かつ徹底した掃蕩戦を行なったことを南京市民は知っているわけであり、南京防衛軍に加わっていた夫(父・息子)が死んだものと思っていた家族は、調査で死亡原因を「戦争」としたんだ。
>東京日々新聞のベイツ記事の発言が、12月14日のものか、15日のものかは
不明だが、
へ?
昭和12年12月16日(第11面)
【南京にて若梅、村上両特派員】
『記者等は十五日朝鼓楼にある有名な金陵大学を訪れた・・・』と記事にあるが。
>第一声として、社交辞令と相手に対する期待を表明するのは不思議ではない。
市民大虐殺が行われている真っ只中の真っ最中に『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と日本人記者2人に社交辞令を言ったとしたら、ベイツはアホかキチガイだ。
ベイツは、南京にいない人々や南京を去る人々に対してはデタラメな日本軍の犯罪を宣伝し、南京に居続ける日本人記者などに対しては『…秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです』と述べていたのさ。
これは メッセージ 7296 (ja2047 さん)への返信です.
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