人口、認識:全体像は虐殺を完全否定
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/08/10 23:32 投稿番号: [6937 / 41162]
>さて、論点拡散へのお付き合いをしてるときりがないので、この辺でやめておくが
ハイ、ハイ。
私は、常々キミの論点そらしと論点拡散には辟易としておりますので、よろしくお願い致します。
>ラーベもスマイスも増えたという認識は示していない、これはちゃんと理解できるかね?
ラーべもスマイスも減ったという認識は示していない。
1937年12月10日のラーベの日記には20万人と記されていた。
「国際安全区委員会公文書『T-6号』」では、1937年12月13日の人口を20万人と述べていた。
そして、ラーべの1938年1月17日付け日記には、
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難民の数は今や25万人と見積もられている。約5万人の増加は、廃墟となったところから来ている。
彼らは、どこに行ったらいいのかわからない。
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と記されていた。
スマイス調査によれば、1937年12月13日の陥落時点で民間人の人口が20万〜25万人だった。
南京が陥落した翌月の生存人口は約25万なので、人口が増加した可能性は高いが減少したとという認識はあり得ない。
>ほほー、蒋介石が日記に「倭寇は南京であくなき惨殺と姦淫を繰り広げている」
>と書くと知らなかったことになって、中国国連代表が総会で「南京での残虐行為」
>について演説すると、「認識していなかったことを裏付ける資料」になるのか。
蒋介石の日記には、常日頃から日本軍の悪口が書かれており、南京の部分の悪口が常日頃と比較して強烈でなければならない。
そして、蒋介石はその後、支那事変一周年目の7月7日、『日本国民に告げる書』を発表したが、「南京で虐殺があった」とは全く書かなかった。
蒋介石は『日本国民に告げる書』で広州などの都市爆撃のことを長々と具体的に述べていたが、虐殺については「日本軍の占領地で殺戮がある」と、抽象的かつ短い文言で述べただけだった。
また、1938年の2月に行われた顧維鈞の演説は、誰でもすぐに分かるような明らかな嘘や逆宣伝や戦時プロパガンダが満載だった。
顧維鈞自身が本当に「南京での残虐行為」があったと認識していれば、簡単にばれる嘘や逆宣伝と一緒に演説をする訳がない。
実際に、1938年5月に国際連盟理事会が「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したのにも拘わらず、「虐殺」非難の文言が一切なかった。
つまり、2月の顧維鈞の演説は国際社会からも「信憑性なし」と認定されたということ。
このことから、当時は何応欽や蒋介石や毛沢東のみならず、国際社会も南京大虐殺を認識していなかったことが裏付けられる。
これは メッセージ 6929 (ja2047 さん)への返信です.
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