夏休み でりさま教室 補講4
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/08/01 06:49 投稿番号: [6828 / 41162]
>日高信六郎氏が語った相手である「わたし」って城山三郎のこと?
そうだよ。
>日高氏はいつ死んだの?
日本ネパール協会会報の1976年8月号に日高氏の追悼記事が
載っているので、この頃なくなられたのだろうね。
日高氏は同協会の会長で、登山家として有名だった。
>日高氏が生前に語っていたことを城山三郎が1972年に、『潮』10月号に「南京事件と広田弘毅」というタイトルで寄稿したの?
1972年には日高氏は存命だよ。
>この日高信六郎っていう外交官は、随分危険な場所を歩いていたんだね?
まだ、城内掃蕩が完了していなかったのだろうね。
>某HPによると、
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日高信六郎氏は、南京事件当時、大使館参事官として上海におりました。南京には、1937年12月17・18日、12月25・26日など、四回にわたり出向いています。(「南京大虐殺事件資料集1
極東国際軍事裁判関係資料編」P180より)
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と記述されている。
これは重大な矛盾だよ!
城山三郎の捏造ではないの?!
17、18の入場式、慰霊祭に出席するために上海から南京に行ったんだね。
福田篤泰氏の証言に
「日高信六郎参事官らが船で上海から南京へ到着したのは陥落から四日後だと記憶している。」
とある。
南京防衛軍の崩壊が12月12日のこと、日本軍の城内掃蕩開始が13日だね。
「四日目」と「四日後」では違うが、南京に入ったのは、
「憲兵隊長が入浴後だった」という記事の内容からすると
16日の夕方以降の到着ではないかと思うね。
入場式への参列であれば、前日夜の到着でおかしくはない。
ちなみに、西條八十は前日16日の夜に南京に到着している。
http://www.geocities.jp/yu77799/saijou.htmlさて、時間切れなので、ここで失礼しよう。
これは メッセージ 6818 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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