十分あり得るベイツの国民政府顧問説
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/24 11:10 投稿番号: [6714 / 41162]
>掲載紙不明で、そもそも新聞記事の切り抜きであるかどうかも確証がなく、
>誰の責任で書かれたかも不明の文章にか?
南京大虐殺事件そのものが、犠牲者数不明(南京の人口は増加)、犠牲者も加害者も特定できない、事件の9年後に浮上したデタラメ事件だ。
>だとすると、掲載紙不明、身元不明の新聞記者氏は、なんでそんな重大な
>秘密をバラしてしまったのだろうかね。
>いや、それ以前に、なんでそんな重大な秘密を知っていたんだろうかね。
そんなことの詳細まで一々知らん。
非常に親しい間柄だったのではないかな。
その切り抜きは、南京陥落直後のものだったと思う。
ベイツの宣伝工作活動は、南京陥落当時からダーディンなどに行われていたが、本格化するのはその後だ。
南京陥落当時は、それほど本格的に南京大虐殺の宣伝工作をする予定はなかったが、その後に方針が変わり、ベイツが顧問であることも秘密にするようにしたのかもしれない。
>「戦争とはなにか」のことだと思うが、校了間際での書き加えだったため、
>中国語版の出版には間に合わなかった。
なぜだか判るね?
>紅卍字会の埋葬が進んで、死者の数が把握されてきたのが3月下旬から
>4月以降のことだからだよ。
あ、そう。
しかし、埋葬数が四万体近いからと言って、4万人虐殺というのは、戦死者数などを考慮しない悪質な宣伝だね。
いずれにせよ、当時、ベイツの4万人虐殺説は、事情を知る者には相手にされないトンデモ説だった。
中華民国の公式文書
「4万人殺害説」削除
南京事件ベイツ・メモ
南京事件(昭和12年12月―13年初め)で「4万人が殺された」とする南京在住の米国人宣教師、ベイツ博士のメモが当時の中華民国の公式文書「チャイニーズ・イヤーブック 1938―39」に収録された際、「4万人殺害」のくだりが削除されていたことが東中野修道・亜細亜大教授の研究で分かった。この「4万人説」が消されたことが後に、「20万」「30万」といった誇大な犠牲者が一人歩きする一因になったとみられる。
チャイニーズ・イヤーブックは、前政府外交部顧問(当時)の徐淑希・燕京大教授が委員長を務めていた中華民国の国際問題委員会の公式資料から作成された、いわば中華民国の公式見解。徐氏は、満州事変の国際連盟調査団中国代表処専門委員も務めた。
ベイツ博士のメモは「日本軍が不法に処刑した」という中国人の話をもとに1938年1月25日に書かれたもので、「非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁近くで殺された。3割は兵士でなかった」という内容。
このベイツ・メモは、中国・上海のオーストラリア人ジャーナリスト、ティンパーリー氏のもとへ送られ、ティンパーリー氏が同年7月に出版した「戦争とは何か」の第3章に盛り込まれた。
しかし、東中野教授が調べたところ、チャイニーズ・イヤーブックはベイツ・メモを収録する際、その核心部分である「4万人殺害説」を削除したほか、「3千体が大量処刑のあと積み重ねられたり並べられたりしたまま放置されていると埋葬グループは報告している」という記述も削除していた。
また、同じころ出された徐氏の編著「日本人の戦争行為」「要約・日本人の戦争行為」「南京安全地帯の記録」の3冊にも、ベイツ・メモが再録されながら、「4万人説」が削除されていることが分かった。
南京事件については、東京裁判認定の「20万」、戦後中国が発表した「30万」という誇大な犠牲者数が教科書などで独り歩きしているが、東中野教授は「ベイツ博士の4万人虐殺説も水増しの疑いが強いが、その4万人虐殺説でさえ公式記録から削除され、一度も追認されなかった。
『南京虐殺』は4等、5等史料によって成り立っていることがはっきりした」としている。
東中野教授はこの発見を含め、南京事件当時の外国語文献を比較検証した研究成果を『「南京虐殺」の徹底検証』という本にまとめ、近く展転社から出版する。
産経新聞1998年7月29日
>>1938年に4万人虐殺、1946年に市民1万2千人と言うが、ベイツ自身が目撃した殺害事件が0件で、安全区委員会の公式文書の殺害犠牲者が出鱈目を含めてもたったの約50人だった。
>>そして、1938年と1946年に国民党政府から2回勲章を受けた。
>国民政府の勲章って、顧問に就任しないと貰えないという規則でもあるのか?
そんなことは言っていないが、他の安全区国際委員会メンバーは、そのタイミングで国民政府から勲章を貰っていないだろ?
>誰の責任で書かれたかも不明の文章にか?
南京大虐殺事件そのものが、犠牲者数不明(南京の人口は増加)、犠牲者も加害者も特定できない、事件の9年後に浮上したデタラメ事件だ。
>だとすると、掲載紙不明、身元不明の新聞記者氏は、なんでそんな重大な
>秘密をバラしてしまったのだろうかね。
>いや、それ以前に、なんでそんな重大な秘密を知っていたんだろうかね。
そんなことの詳細まで一々知らん。
非常に親しい間柄だったのではないかな。
その切り抜きは、南京陥落直後のものだったと思う。
ベイツの宣伝工作活動は、南京陥落当時からダーディンなどに行われていたが、本格化するのはその後だ。
南京陥落当時は、それほど本格的に南京大虐殺の宣伝工作をする予定はなかったが、その後に方針が変わり、ベイツが顧問であることも秘密にするようにしたのかもしれない。
>「戦争とはなにか」のことだと思うが、校了間際での書き加えだったため、
>中国語版の出版には間に合わなかった。
なぜだか判るね?
>紅卍字会の埋葬が進んで、死者の数が把握されてきたのが3月下旬から
>4月以降のことだからだよ。
あ、そう。
しかし、埋葬数が四万体近いからと言って、4万人虐殺というのは、戦死者数などを考慮しない悪質な宣伝だね。
いずれにせよ、当時、ベイツの4万人虐殺説は、事情を知る者には相手にされないトンデモ説だった。
中華民国の公式文書
「4万人殺害説」削除
南京事件ベイツ・メモ
南京事件(昭和12年12月―13年初め)で「4万人が殺された」とする南京在住の米国人宣教師、ベイツ博士のメモが当時の中華民国の公式文書「チャイニーズ・イヤーブック 1938―39」に収録された際、「4万人殺害」のくだりが削除されていたことが東中野修道・亜細亜大教授の研究で分かった。この「4万人説」が消されたことが後に、「20万」「30万」といった誇大な犠牲者が一人歩きする一因になったとみられる。
チャイニーズ・イヤーブックは、前政府外交部顧問(当時)の徐淑希・燕京大教授が委員長を務めていた中華民国の国際問題委員会の公式資料から作成された、いわば中華民国の公式見解。徐氏は、満州事変の国際連盟調査団中国代表処専門委員も務めた。
ベイツ博士のメモは「日本軍が不法に処刑した」という中国人の話をもとに1938年1月25日に書かれたもので、「非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁近くで殺された。3割は兵士でなかった」という内容。
このベイツ・メモは、中国・上海のオーストラリア人ジャーナリスト、ティンパーリー氏のもとへ送られ、ティンパーリー氏が同年7月に出版した「戦争とは何か」の第3章に盛り込まれた。
しかし、東中野教授が調べたところ、チャイニーズ・イヤーブックはベイツ・メモを収録する際、その核心部分である「4万人殺害説」を削除したほか、「3千体が大量処刑のあと積み重ねられたり並べられたりしたまま放置されていると埋葬グループは報告している」という記述も削除していた。
また、同じころ出された徐氏の編著「日本人の戦争行為」「要約・日本人の戦争行為」「南京安全地帯の記録」の3冊にも、ベイツ・メモが再録されながら、「4万人説」が削除されていることが分かった。
南京事件については、東京裁判認定の「20万」、戦後中国が発表した「30万」という誇大な犠牲者数が教科書などで独り歩きしているが、東中野教授は「ベイツ博士の4万人虐殺説も水増しの疑いが強いが、その4万人虐殺説でさえ公式記録から削除され、一度も追認されなかった。
『南京虐殺』は4等、5等史料によって成り立っていることがはっきりした」としている。
東中野教授はこの発見を含め、南京事件当時の外国語文献を比較検証した研究成果を『「南京虐殺」の徹底検証』という本にまとめ、近く展転社から出版する。
産経新聞1998年7月29日
>>1938年に4万人虐殺、1946年に市民1万2千人と言うが、ベイツ自身が目撃した殺害事件が0件で、安全区委員会の公式文書の殺害犠牲者が出鱈目を含めてもたったの約50人だった。
>>そして、1938年と1946年に国民党政府から2回勲章を受けた。
>国民政府の勲章って、顧問に就任しないと貰えないという規則でもあるのか?
そんなことは言っていないが、他の安全区国際委員会メンバーは、そのタイミングで国民政府から勲章を貰っていないだろ?
これは メッセージ 6710 (ja2047 さん)への返信です.