ベイツは国民政府の顧問で勲章受ける
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/23 22:11 投稿番号: [6705 / 41162]
>何で面倒くさくなるか解るよな?
>根拠のきわめて薄いことを事実と断定することは、私は好まないからだ。
ハァ?
「南京事件の擦り付け工作を開始したのは日本側が先で、『NYタイムズ 1月3日記事 安全区の敗残兵による攪乱工作』の情報の出所が明らかに日本側だ」とか言った奴がよく言うよ。
イエール大学で発見された新聞記事の切り抜きの写真説明に、「国民政府顧問のマイナー・サール・ベイツ博士(写真)は、・・・」と紹介されていれば根拠としては十分だよ。
>何度も言うように、ベイツが国民党顧問だという根拠は、イェール神学校
>文書館の厚さ3フィートに登るエスター・モーテンセン文書から発見された、
>掲載紙不明、日付不明の新聞記事の切り抜きと推定される正体不明の
>切り抜き一枚だけ。
いちいち全部に国民党顧問とベイツが紹介されていたら誰も苦労しないし、殆どの人がベイツを敬虔な宣教師で中立的な証言者だと思っていたからこそ、ベイツは大活躍出来たんだろ。
>「ベイツが国民政府の顧問だったことは、ほぼ間違いないが、」というでりちゃんの
>信念は揺るがないのだろうが、資料的にはきわめて裏付けが薄く、可能性が薄い
>ということだ。
キミの信念である「南京事件の擦り付け工作を開始したのは日本側が先で、『NYタイムズ 1月3日記事 安全区の敗残兵による攪乱工作』の情報の出所が明らかに日本側だ」というのは、資料的にはゼロ。
>ベイツが国民党顧問であるという仮説に比べれば、合理的な推測というものだ (^^
擦り付け工作のキミの仮説と違って資料はあるし合理的だ。
まず、ベイツが目撃した日本軍による市民虐殺は0人だ。
次に、安全区委員会の抗議文書の殺害犠牲者は検証しない出鱈目ばかりだが、それでもたった約50人だ。
ベイツは国民党政府から2回勲章を受けたと晩年に書かれた自筆の履歴書も見つかっている。
1回目は著書で初めて4万人虐殺を主張した1938年で、2回目は東京裁判で市民1万2000人虐殺を主張した1946年だ。
しかも、1938年の4万人虐殺説は、当時の日本人や支那人なら誰でも嘘だと分かるために、支那語訳版からは外し、英語版のみに載せた。
―――――――――――――――――――
しかし四万人説は事情通には明白な嘘と分る。国民党中央宣伝部は、それを載せるのはまずいと思った。そこで四万人虐殺説は、実情を知る日本人や中国人の見る漢訳版から外し、南京の実情に疎い遠く離れた欧米向の英語版のみ載せた。それにベイツが同意したのである。
解釈はどうであれ、国民党中央宣伝部が南京の殺人や虐殺を認めていなかったことは事実である。それにもかかわらず人々が読むとき、確かに、「殺人」や「虐殺」を認識させられた。これこそ国民党中央宣伝部国際宣伝処が目指した「プロパガンダ」であった。
ところが「宣伝」が「宣伝」のままで終わればよかったが、戦争の進展とともに、宣伝のなかに紛れ込まされていた四万人説を、世界は事実として受け取っていく。
曽虚白の言うように、国民党中央宣伝部はまさに「宣伝の目的を達した」のであるが、「宣伝」が思わぬ方向に進んだことにたいし曽虚白の心のうちはどうだったであろうか。冒頭で「曽虚白はどうしてこのような内幕を暴露したのか」という疑問を述べたが、曽虚白は良心の呵責を覚えて、「宣伝」の内幕を吐露したのではないか。
ともあれ大虐殺派が南京虐殺は「リアルタイムで世界から非難を浴びた」と決まって持ち出す根拠の新聞報道も、「戦争とは何か」も、もう持ち出せなくなった。また中間派などが根拠にしている処刑も、新たな資料を提示しない限り、不法とは言えなくなった。
全ては宣伝から始った。世界は、特に日本人こそは、その「宣伝」の正体を心して見ない限り、その「宣伝」に永遠に毒されていくだけである」
『正論』2002年4月号 より抜粋
―――――――――――――――――――
1938年に4万人虐殺、1946年に市民1万2千人と言うが、ベイツ自身が目撃した殺害事件が0件で、安全区委員会の公式文書の殺害犠牲者が出鱈目を含めてもたったの約50人だった。
そして、1938年と1946年に国民党政府から2回勲章を受けた。
ベイツの国民党顧問説は、擦り付け工作のキミの仮説と違って十分に合理的なのだ。
>根拠のきわめて薄いことを事実と断定することは、私は好まないからだ。
ハァ?
「南京事件の擦り付け工作を開始したのは日本側が先で、『NYタイムズ 1月3日記事 安全区の敗残兵による攪乱工作』の情報の出所が明らかに日本側だ」とか言った奴がよく言うよ。
イエール大学で発見された新聞記事の切り抜きの写真説明に、「国民政府顧問のマイナー・サール・ベイツ博士(写真)は、・・・」と紹介されていれば根拠としては十分だよ。
>何度も言うように、ベイツが国民党顧問だという根拠は、イェール神学校
>文書館の厚さ3フィートに登るエスター・モーテンセン文書から発見された、
>掲載紙不明、日付不明の新聞記事の切り抜きと推定される正体不明の
>切り抜き一枚だけ。
いちいち全部に国民党顧問とベイツが紹介されていたら誰も苦労しないし、殆どの人がベイツを敬虔な宣教師で中立的な証言者だと思っていたからこそ、ベイツは大活躍出来たんだろ。
>「ベイツが国民政府の顧問だったことは、ほぼ間違いないが、」というでりちゃんの
>信念は揺るがないのだろうが、資料的にはきわめて裏付けが薄く、可能性が薄い
>ということだ。
キミの信念である「南京事件の擦り付け工作を開始したのは日本側が先で、『NYタイムズ 1月3日記事 安全区の敗残兵による攪乱工作』の情報の出所が明らかに日本側だ」というのは、資料的にはゼロ。
>ベイツが国民党顧問であるという仮説に比べれば、合理的な推測というものだ (^^
擦り付け工作のキミの仮説と違って資料はあるし合理的だ。
まず、ベイツが目撃した日本軍による市民虐殺は0人だ。
次に、安全区委員会の抗議文書の殺害犠牲者は検証しない出鱈目ばかりだが、それでもたった約50人だ。
ベイツは国民党政府から2回勲章を受けたと晩年に書かれた自筆の履歴書も見つかっている。
1回目は著書で初めて4万人虐殺を主張した1938年で、2回目は東京裁判で市民1万2000人虐殺を主張した1946年だ。
しかも、1938年の4万人虐殺説は、当時の日本人や支那人なら誰でも嘘だと分かるために、支那語訳版からは外し、英語版のみに載せた。
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しかし四万人説は事情通には明白な嘘と分る。国民党中央宣伝部は、それを載せるのはまずいと思った。そこで四万人虐殺説は、実情を知る日本人や中国人の見る漢訳版から外し、南京の実情に疎い遠く離れた欧米向の英語版のみ載せた。それにベイツが同意したのである。
解釈はどうであれ、国民党中央宣伝部が南京の殺人や虐殺を認めていなかったことは事実である。それにもかかわらず人々が読むとき、確かに、「殺人」や「虐殺」を認識させられた。これこそ国民党中央宣伝部国際宣伝処が目指した「プロパガンダ」であった。
ところが「宣伝」が「宣伝」のままで終わればよかったが、戦争の進展とともに、宣伝のなかに紛れ込まされていた四万人説を、世界は事実として受け取っていく。
曽虚白の言うように、国民党中央宣伝部はまさに「宣伝の目的を達した」のであるが、「宣伝」が思わぬ方向に進んだことにたいし曽虚白の心のうちはどうだったであろうか。冒頭で「曽虚白はどうしてこのような内幕を暴露したのか」という疑問を述べたが、曽虚白は良心の呵責を覚えて、「宣伝」の内幕を吐露したのではないか。
ともあれ大虐殺派が南京虐殺は「リアルタイムで世界から非難を浴びた」と決まって持ち出す根拠の新聞報道も、「戦争とは何か」も、もう持ち出せなくなった。また中間派などが根拠にしている処刑も、新たな資料を提示しない限り、不法とは言えなくなった。
全ては宣伝から始った。世界は、特に日本人こそは、その「宣伝」の正体を心して見ない限り、その「宣伝」に永遠に毒されていくだけである」
『正論』2002年4月号 より抜粋
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1938年に4万人虐殺、1946年に市民1万2千人と言うが、ベイツ自身が目撃した殺害事件が0件で、安全区委員会の公式文書の殺害犠牲者が出鱈目を含めてもたったの約50人だった。
そして、1938年と1946年に国民党政府から2回勲章を受けた。
ベイツの国民党顧問説は、擦り付け工作のキミの仮説と違って十分に合理的なのだ。
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