>笠原さんについて
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/11 02:33 投稿番号: [6446 / 41162]
>笠原さんについて正確に知ろうとしていなかったのかもしれません。
こいつは、論外です。
笠原十九司という奴は、学者と呼ぶには程遠い支那信奉者の反日左翼です。
笠原十九司の『南京事件』にも、出鱈目が含まれています。
また、笠原十九司は、『写真記録 日中戦争3.拡大する日中戦争 1937〜1941』ぽるぷ出版・鈴木亭、笠原十九司編という本で、支那軍が行った暴虐の数々を、日本軍がやったと書いています。
まず、25頁に住宅街らしき所が爆撃されてる写真があり、本文には「日本空軍の爆撃で燃え上がる上海市、日本軍は連日にわたる渡洋爆撃と航空母艦からの爆撃によって…」とありますが、この写真は上海戦の終り頃(9月末から10月初旬)にあった支那軍の本拠地・閘北(ざほく)総攻撃の写真であり、市民を攻撃している写真ではありません。
両方の砲弾が飛んで来る所に市民がいつまでもいるわけがなく、とっくに逃げ出してるでしょう。
そもそも、日本の艦載機は支那軍の前線基地を叩き、渡洋爆撃では南京、広徳、南昌、杭州などの飛行場を攻撃したのであって、上海市内を攻撃した訳ではありません。
日本の上海戦の目的は、飽くまで上海居留日本人の保護だったので、日本人のいる所に爆弾を落とす訳がありません。
支那軍が上海を攻撃したのであり、支那軍が日本人や支那人や外国人を攻撃したのです。
笠原は、酷い嘘吐きです。
また、この本は、支那軍の爆撃によって破壊されたパレスホテル(27頁上段B)の写真に、
「日本空軍の爆撃による破壊 上海市の中心・先施公司の爆撃で中国市民数百人が犠牲となった。」と説明をつけているので、この説明は二重に間違っていることになります。
ちなみに、パレスホテルは8月14日、先施公司(シンシアデパート)は8月23日に支那軍が爆撃したものです。
27頁中段Cには、本物の先施公司(シンシアコーズ)デパートの写真があり、まったく頓珍漢です。
次に、28頁下段に避難民の写真がありますが、ここの説明には「上海避難民 日本軍の爆撃と攻撃にさらされた市民はなだれを打って外国人租界に流れ込んだ」となっていますが、これもデタラメです。
本当は、盧溝橋事件の後、蒋介石が上海攻撃を企図し保安隊を遠巻きに配置しながら徐々に包囲網を狭めていたため、戦争を察知した住民が国際租界に逃げ出したのです。
支那が上海周辺で戦争準備を始め、8月11日から12日にかけて鉄道を押さえ、軍隊を続々上海に送り込み、国際租界の日本人居留区を包囲、12日には黄浦江との揚子江の江陰に船を沈めて川を封鎖したので、市民が雪崩をうって、国際租界やにフランス特権区域に逃げ込んだのです。
つまり、市民が逃げたのは支那軍が戦争を準備したからです。
そして、支那軍は13日には攻撃を開始し、14日には上海市街を爆撃しました。
26頁A・27頁上段Bの写真は、この時の写真です。
26〜27頁の酷い写真は、どれも支那空軍の仕業で、この中には一枚も日本の加害写真はありません。
無いのは当たり前で、最初から日本軍はそんな所を爆撃していないからです。
日本軍が爆撃したのは、南京、広徳、南昌、杭州などにある支那軍の飛行場や前線基地です。
その際、支那軍が民衆の多くいる所に集結し、そのために民衆が巻き込まれて被害を受けたことはあったでしょうが、その場合の責任は支那側にあります。
笠原は、「日本が侵略して、上海に雨あられのごとく爆弾を降らし、上海を地獄にした」と言いたいようですが、これは嘘っぱちの出鱈目です。
実際は、支那軍が上海の包囲攻撃と爆撃を行ったのです。
日本海軍は、陸軍の上海到着が間に合わないので、支那軍の飛行場や前線基地を爆撃し、上海居留日本人の命を永らえさせたのです。
笠原の出鱈目は、酷すぎます。
こいつは、学者とは言えません。
こんな奴を雇う大学は大馬鹿です。
こんな奴の本を資料とする奴も大馬鹿です。
こいつは、論外です。
笠原十九司という奴は、学者と呼ぶには程遠い支那信奉者の反日左翼です。
笠原十九司の『南京事件』にも、出鱈目が含まれています。
また、笠原十九司は、『写真記録 日中戦争3.拡大する日中戦争 1937〜1941』ぽるぷ出版・鈴木亭、笠原十九司編という本で、支那軍が行った暴虐の数々を、日本軍がやったと書いています。
まず、25頁に住宅街らしき所が爆撃されてる写真があり、本文には「日本空軍の爆撃で燃え上がる上海市、日本軍は連日にわたる渡洋爆撃と航空母艦からの爆撃によって…」とありますが、この写真は上海戦の終り頃(9月末から10月初旬)にあった支那軍の本拠地・閘北(ざほく)総攻撃の写真であり、市民を攻撃している写真ではありません。
両方の砲弾が飛んで来る所に市民がいつまでもいるわけがなく、とっくに逃げ出してるでしょう。
そもそも、日本の艦載機は支那軍の前線基地を叩き、渡洋爆撃では南京、広徳、南昌、杭州などの飛行場を攻撃したのであって、上海市内を攻撃した訳ではありません。
日本の上海戦の目的は、飽くまで上海居留日本人の保護だったので、日本人のいる所に爆弾を落とす訳がありません。
支那軍が上海を攻撃したのであり、支那軍が日本人や支那人や外国人を攻撃したのです。
笠原は、酷い嘘吐きです。
また、この本は、支那軍の爆撃によって破壊されたパレスホテル(27頁上段B)の写真に、
「日本空軍の爆撃による破壊 上海市の中心・先施公司の爆撃で中国市民数百人が犠牲となった。」と説明をつけているので、この説明は二重に間違っていることになります。
ちなみに、パレスホテルは8月14日、先施公司(シンシアデパート)は8月23日に支那軍が爆撃したものです。
27頁中段Cには、本物の先施公司(シンシアコーズ)デパートの写真があり、まったく頓珍漢です。
次に、28頁下段に避難民の写真がありますが、ここの説明には「上海避難民 日本軍の爆撃と攻撃にさらされた市民はなだれを打って外国人租界に流れ込んだ」となっていますが、これもデタラメです。
本当は、盧溝橋事件の後、蒋介石が上海攻撃を企図し保安隊を遠巻きに配置しながら徐々に包囲網を狭めていたため、戦争を察知した住民が国際租界に逃げ出したのです。
支那が上海周辺で戦争準備を始め、8月11日から12日にかけて鉄道を押さえ、軍隊を続々上海に送り込み、国際租界の日本人居留区を包囲、12日には黄浦江との揚子江の江陰に船を沈めて川を封鎖したので、市民が雪崩をうって、国際租界やにフランス特権区域に逃げ込んだのです。
つまり、市民が逃げたのは支那軍が戦争を準備したからです。
そして、支那軍は13日には攻撃を開始し、14日には上海市街を爆撃しました。
26頁A・27頁上段Bの写真は、この時の写真です。
26〜27頁の酷い写真は、どれも支那空軍の仕業で、この中には一枚も日本の加害写真はありません。
無いのは当たり前で、最初から日本軍はそんな所を爆撃していないからです。
日本軍が爆撃したのは、南京、広徳、南昌、杭州などにある支那軍の飛行場や前線基地です。
その際、支那軍が民衆の多くいる所に集結し、そのために民衆が巻き込まれて被害を受けたことはあったでしょうが、その場合の責任は支那側にあります。
笠原は、「日本が侵略して、上海に雨あられのごとく爆弾を降らし、上海を地獄にした」と言いたいようですが、これは嘘っぱちの出鱈目です。
実際は、支那軍が上海の包囲攻撃と爆撃を行ったのです。
日本海軍は、陸軍の上海到着が間に合わないので、支那軍の飛行場や前線基地を爆撃し、上海居留日本人の命を永らえさせたのです。
笠原の出鱈目は、酷すぎます。
こいつは、学者とは言えません。
こんな奴を雇う大学は大馬鹿です。
こんな奴の本を資料とする奴も大馬鹿です。
これは メッセージ 6413 (kintakunte2002 さん)への返信です.