ひとまず
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/07/10 21:54 投稿番号: [6440 / 41162]
日本側の新聞記者の目撃証言を引用します。
なお、誤解がないように断っておきますと、
お二人とも、「南京大虐殺はなかった」と主張している人たちです。
特に、佐藤振寿氏は、最近、例の「百人斬り裁判」で、原告側商人として
老齢を押して出廷された人ですので、思想的には否定派であることは
ご存じの通りです。
東京日々新聞 佐藤振寿
明けて12月14日、前の前の晩は中山陵近くの山上で寒い夜を過ごしたのですが、前の晩は中山門内の中国軍将校の社交機関・励志社の建物で寝ました。しかし、しばらくして他の師団に従軍していた本社の仲間が続々と集まり、中国宿へ移動しました。
そうこうしていると、支局の連絡員が励志社の先で何かやっていると知らせにきたのです。駆けつけると、大きな門があり、駐軍88師司令部の題字があり、中に入ると、兵営のような建物の前の庭に、中国兵が100人以上、上半身裸にされ後ろ手にられている。彼らの前にはちょうど8畳ほどの穴が二つ掘られてあって、一つの穴の縁には中国兵を座らせ、【日本兵が後頭部をポンと小銃で撃つと】、まるで軽業のように中国兵は一回転してその穴に落ちていった。
もう一つの穴のほうでは、着剣した銃を構えた日本兵が中国兵を突き刺し、穴に落としていた。僕はカメラを持っていましたが、それを見て撮らせてくれとは言えなかった。銃殺や刺殺をしていた日本兵たちは逆上していて、常人の顔とは思えず、何か言うと何をされるかわからず怖かった。
殺された中国兵は、既に穴の中に入っていた中国兵も含めると、300人ほどいたと思う。
「従軍カメラマンの証言 佐藤振寿さん(元東京日日新聞写真部員)」(『毎日新聞秘蔵 不許可写真1』毎日新聞社1998年12月30日発行)204頁より
同盟通信記者 前田雄二
軍官学校で”処刑”の現場に行きあわせる。後者の一角に収容してある捕虜を一人ずつ校庭に引き出し、下士官がそれを前方の防空壕の方向に走らせる。待ち構えた兵隊が銃剣で背後から突き抜く。悲鳴をあげて壕に落ちると、さらに上から止めを刺す。それを三カ所で並行してやっているのだ。
引きだされ、突き放される捕虜の中には、拒み、抵抗し、叫び立てる男もいるが、多くは観念しきったように、死の壕に向かって走る。傍らの将校に聞くと「新兵教育だ」という。壕の中は鮮血でまみれた死体が重なっていく。・・・・交代で突き刺す側の兵隊も蒼白な顔をしている。刺す掛け声と刺される死の叫びが交錯する情景は凄惨だった。私は辛うじて十人目まて゜見た時、吐き気を催した。そして逃げるように校庭を出た。・・・
午後支局[同盟通信社の野戦支局]を出ると銃声が聞こえる。連絡員の中村太郎をつれて、銃声をたずねていくと、それは交通銀行の裏の池の畔だった。ここでも処刑が行われていたのだ。【死刑執行人は小銃と拳銃を持った兵隊で、捕虜を池畔に立たせ、背後から射つ。】その衝撃で池に落ち、まだ息があると上からもう一発だ。・・・
「記者さん、やってみないか」兵隊を指揮していた下士官が、私に小銃を差しだした。私は驚いて手を引っ込めた。すると、中村太郎に、「君はどうだ」と従すすめる。中村はニヤリと笑ってそれを受けとり。捕虜の背中に銃口を接近させると引き金をひいた。ズドンという音とともに男は背中を丸めるようにしてボシャンと池に水しぶきをあげた。それきりだった。
(前田雄二『戦争の流れの中に』−十二月十六日の記事より)
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/maeda.html
なお、誤解がないように断っておきますと、
お二人とも、「南京大虐殺はなかった」と主張している人たちです。
特に、佐藤振寿氏は、最近、例の「百人斬り裁判」で、原告側商人として
老齢を押して出廷された人ですので、思想的には否定派であることは
ご存じの通りです。
東京日々新聞 佐藤振寿
明けて12月14日、前の前の晩は中山陵近くの山上で寒い夜を過ごしたのですが、前の晩は中山門内の中国軍将校の社交機関・励志社の建物で寝ました。しかし、しばらくして他の師団に従軍していた本社の仲間が続々と集まり、中国宿へ移動しました。
そうこうしていると、支局の連絡員が励志社の先で何かやっていると知らせにきたのです。駆けつけると、大きな門があり、駐軍88師司令部の題字があり、中に入ると、兵営のような建物の前の庭に、中国兵が100人以上、上半身裸にされ後ろ手にられている。彼らの前にはちょうど8畳ほどの穴が二つ掘られてあって、一つの穴の縁には中国兵を座らせ、【日本兵が後頭部をポンと小銃で撃つと】、まるで軽業のように中国兵は一回転してその穴に落ちていった。
もう一つの穴のほうでは、着剣した銃を構えた日本兵が中国兵を突き刺し、穴に落としていた。僕はカメラを持っていましたが、それを見て撮らせてくれとは言えなかった。銃殺や刺殺をしていた日本兵たちは逆上していて、常人の顔とは思えず、何か言うと何をされるかわからず怖かった。
殺された中国兵は、既に穴の中に入っていた中国兵も含めると、300人ほどいたと思う。
「従軍カメラマンの証言 佐藤振寿さん(元東京日日新聞写真部員)」(『毎日新聞秘蔵 不許可写真1』毎日新聞社1998年12月30日発行)204頁より
同盟通信記者 前田雄二
軍官学校で”処刑”の現場に行きあわせる。後者の一角に収容してある捕虜を一人ずつ校庭に引き出し、下士官がそれを前方の防空壕の方向に走らせる。待ち構えた兵隊が銃剣で背後から突き抜く。悲鳴をあげて壕に落ちると、さらに上から止めを刺す。それを三カ所で並行してやっているのだ。
引きだされ、突き放される捕虜の中には、拒み、抵抗し、叫び立てる男もいるが、多くは観念しきったように、死の壕に向かって走る。傍らの将校に聞くと「新兵教育だ」という。壕の中は鮮血でまみれた死体が重なっていく。・・・・交代で突き刺す側の兵隊も蒼白な顔をしている。刺す掛け声と刺される死の叫びが交錯する情景は凄惨だった。私は辛うじて十人目まて゜見た時、吐き気を催した。そして逃げるように校庭を出た。・・・
午後支局[同盟通信社の野戦支局]を出ると銃声が聞こえる。連絡員の中村太郎をつれて、銃声をたずねていくと、それは交通銀行の裏の池の畔だった。ここでも処刑が行われていたのだ。【死刑執行人は小銃と拳銃を持った兵隊で、捕虜を池畔に立たせ、背後から射つ。】その衝撃で池に落ち、まだ息があると上からもう一発だ。・・・
「記者さん、やってみないか」兵隊を指揮していた下士官が、私に小銃を差しだした。私は驚いて手を引っ込めた。すると、中村太郎に、「君はどうだ」と従すすめる。中村はニヤリと笑ってそれを受けとり。捕虜の背中に銃口を接近させると引き金をひいた。ズドンという音とともに男は背中を丸めるようにしてボシャンと池に水しぶきをあげた。それきりだった。
(前田雄二『戦争の流れの中に』−十二月十六日の記事より)
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/maeda.html
これは メッセージ 6438 (ja2047 さん)への返信です.