結局、擦り付け工作はjaの出鱈目(3)
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/07/10 11:58 投稿番号: [6430 / 41162]
>>3.1月24日時点においても2月16日時点においても、数十人の民間人殺害は認識されていなかったのですね?
>そんなことは一言も言っておりませぬ。
>暴虐行為全般が問題になっていたのではないかと言っているのです。
では、1月24日や2月16日時点において、数十人の民間人殺害は認識されていたのですか?
お答えください。
―――――――――――――――――――
コーヒー#6384
1938年1月4日付(1月3日発)NY・タイムズ記事の大佐一味7人
1938年1月24日の日本軍が記者会見で発表した反日撹乱工作を扇動していた前第88師副師長の馬(マー)・ポウシャン中将
1938年2月17日付大阪朝日記事の元巡警の呉堯邦ら11人
どうして、日本軍は、上に列挙したような撹乱工作隊に「民間人殺害」の罪を擦り付けなかったのですか?
―――――――――――――――――――
農協#6388
命が惜しくて潜伏中の将兵計8人と、通訳の腕章を付けて強盗をしていた民間人11人にかね?
そりゃ無理でしょ・・・・・・・って。 オイ (−−;
―――――――――――――――――――
コーヒー#6390
全然、無理じゃないでしょ。
キミは、「南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。」と言った。
キミが言う「南京事件」とは、「掠奪・強姦事件」であって、「殺人事件」ではないのかね?
日本軍が、どうせ「南京事件」を擦り付けるとしたら、大佐一味7人(8人じゃねーよ)や前第88師副師長の馬(マー)・ポウシャン中将や元巡警の11人などに「殺人事件」を擦り付けるのが普通でしょ。
いい加減に誤魔化すのはやめて、どうして、日本軍は、彼ら撹乱工作隊に「民間人殺害」の犯罪を擦り付けなかったのかを答えなさい。
―――――――――――――――――――
農協#6406
1月中旬時点で、上海で話題になっていたのは、
「占領後もなお続く市民への暴虐行為」 なのだし、
これに対する釈明を日本軍が続けているというのが当時の状況だよ。
―――――――――――――――――――
>なお、日本側の認識については、1938年6月に第十一軍司令官に任命された岡村大将が
>・・・
>と、書き残している点から、
>やはり、「民間人大虐殺」というよりは「民間人大暴行」であったことを示しています。
つまり、日本側の認識においても、1938年6月になっても、「民間人大虐殺」の認識はなかったということで、良いですね?
結局、「民間人大虐殺」は、戦後の東京裁判で初めて認識されたことを認めますか?
ダーディンやスティールやスミスが言った『民間人の殺害』は、戦後の東京裁判まで世間に相手にされなかったということの裏付けになりますね。
今まで私が、「当時は、蒋介石も何応欽も毛沢東も国際社会も『南京大虐殺』を認識しておらず、『南京大虐殺』は9年後の東京裁判で突如でっち上げられた事件だった」と言うと、キミは、「そんなことはない」と言ってきたが、結局キミが間違っていたのだね?
>なお、このあと、東京裁判で取り上げられたときの事件の呼称も
>“Nankin Atorocities”であって、“Nankin Massacre”ではないので、
>一貫して、虐殺のみが問題となったのではなく、残虐行為全体が
>問題となっていたことが窺えます。
東京裁判で、「民間人の大虐殺」について審理されたことは明らかです。
問題は、それ以前に世間(日・支・欧米)が認識されていたかどうか。
>>>>では、「民間人の殺害犠牲者が数万人」という説は、何年何月ごろに、誰が、認識したのか、もったいぶらずにお答えください。
>>>ラーベが南京を離れる直前の2月20日の中国『中央社通信』が
>>>「虐殺された市民は八万」としているそうなので、このあたりを踏まえての話だろうね。
>>中国『中央社通信』って何ですか?
>>それまでずっと南京に居て安全区国際委員長をしていたラーベよりも、どうして南京の様子について詳しかったのですか?
>ラーベより詳しかったという根拠はありません。
では、「民間人の殺害犠牲者が数万人」という説は、何年何月ごろに、誰が、認識したのか、もったいぶらずにお答えください。
世間が認識したのは、東京裁判の時が初めてなんだろ?
>そんなことは一言も言っておりませぬ。
>暴虐行為全般が問題になっていたのではないかと言っているのです。
では、1月24日や2月16日時点において、数十人の民間人殺害は認識されていたのですか?
お答えください。
―――――――――――――――――――
コーヒー#6384
1938年1月4日付(1月3日発)NY・タイムズ記事の大佐一味7人
1938年1月24日の日本軍が記者会見で発表した反日撹乱工作を扇動していた前第88師副師長の馬(マー)・ポウシャン中将
1938年2月17日付大阪朝日記事の元巡警の呉堯邦ら11人
どうして、日本軍は、上に列挙したような撹乱工作隊に「民間人殺害」の罪を擦り付けなかったのですか?
―――――――――――――――――――
農協#6388
命が惜しくて潜伏中の将兵計8人と、通訳の腕章を付けて強盗をしていた民間人11人にかね?
そりゃ無理でしょ・・・・・・・って。 オイ (−−;
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コーヒー#6390
全然、無理じゃないでしょ。
キミは、「南京事件について言えば、擦り付けの工作を開始したのは日本側が先ですね。」と言った。
キミが言う「南京事件」とは、「掠奪・強姦事件」であって、「殺人事件」ではないのかね?
日本軍が、どうせ「南京事件」を擦り付けるとしたら、大佐一味7人(8人じゃねーよ)や前第88師副師長の馬(マー)・ポウシャン中将や元巡警の11人などに「殺人事件」を擦り付けるのが普通でしょ。
いい加減に誤魔化すのはやめて、どうして、日本軍は、彼ら撹乱工作隊に「民間人殺害」の犯罪を擦り付けなかったのかを答えなさい。
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農協#6406
1月中旬時点で、上海で話題になっていたのは、
「占領後もなお続く市民への暴虐行為」 なのだし、
これに対する釈明を日本軍が続けているというのが当時の状況だよ。
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>なお、日本側の認識については、1938年6月に第十一軍司令官に任命された岡村大将が
>・・・
>と、書き残している点から、
>やはり、「民間人大虐殺」というよりは「民間人大暴行」であったことを示しています。
つまり、日本側の認識においても、1938年6月になっても、「民間人大虐殺」の認識はなかったということで、良いですね?
結局、「民間人大虐殺」は、戦後の東京裁判で初めて認識されたことを認めますか?
ダーディンやスティールやスミスが言った『民間人の殺害』は、戦後の東京裁判まで世間に相手にされなかったということの裏付けになりますね。
今まで私が、「当時は、蒋介石も何応欽も毛沢東も国際社会も『南京大虐殺』を認識しておらず、『南京大虐殺』は9年後の東京裁判で突如でっち上げられた事件だった」と言うと、キミは、「そんなことはない」と言ってきたが、結局キミが間違っていたのだね?
>なお、このあと、東京裁判で取り上げられたときの事件の呼称も
>“Nankin Atorocities”であって、“Nankin Massacre”ではないので、
>一貫して、虐殺のみが問題となったのではなく、残虐行為全体が
>問題となっていたことが窺えます。
東京裁判で、「民間人の大虐殺」について審理されたことは明らかです。
問題は、それ以前に世間(日・支・欧米)が認識されていたかどうか。
>>>>では、「民間人の殺害犠牲者が数万人」という説は、何年何月ごろに、誰が、認識したのか、もったいぶらずにお答えください。
>>>ラーベが南京を離れる直前の2月20日の中国『中央社通信』が
>>>「虐殺された市民は八万」としているそうなので、このあたりを踏まえての話だろうね。
>>中国『中央社通信』って何ですか?
>>それまでずっと南京に居て安全区国際委員長をしていたラーベよりも、どうして南京の様子について詳しかったのですか?
>ラーベより詳しかったという根拠はありません。
では、「民間人の殺害犠牲者が数万人」という説は、何年何月ごろに、誰が、認識したのか、もったいぶらずにお答えください。
世間が認識したのは、東京裁判の時が初めてなんだろ?
これは メッセージ 6424 (ja2047 さん)への返信です.