南京空襲の壮挙を決行せんと、訓示」
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/22 07:50 投稿番号: [5757 / 41162]
1937年9月10日上海公大飛行場の建設、整備が完了し第2連合航空隊(司令官三竝貞三大佐、第12.第13航空隊編成)が移駐氏、上海の航空基地から本格的な基地航空部隊を編成し爆撃機に戦闘機、偵察機をつけて白昼に南京を空襲することが可能となった。
第72回帝国議会(9月4日〜8日)において、海軍の思惑通り、渡洋爆撃の戦闘実績に動かされて、多額の航空戦力補備予算が認められた。
9月14日長谷川第3艦隊司令長官は三竝大佐を指揮官とする南京空襲部隊の編成を命じ、南京反復攻撃を下命した。
大規模な南京空襲攻撃の開始にあたり、三竝貞三大佐 は上海公大飛行場において、「南京空襲の壮挙を決行せんとするに辺り、各級指揮官に訓示」を行い、
「南京空襲の戦略目的は首都、の交戦力を爆撃、破壊して民衆の交戦意思を壊滅させ、国民政府を全面降伏させることにある」と述べている。
この九月の段階で、参謀本部は上海派遣軍の任務を上海占領に限定していて、その後
11月5日に 杭州湾上陸をした第10軍を編合した中支那方面軍に対しても内陸に侵攻しないように進出制令線を設定したことからも、
海軍はとっくにその限定線を超え、南京政府の屈服と中国国民の敗北を目的とする日中全面戦争を画策していたのである。
第2連合航空隊参謀「爆撃は必ずしも目標に直撃を要せず、敵の人心に恐怖を惹起せしむるを主眼とする、、、、、、」(海軍第13航空隊戦闘詳報)
9月22日南京爆撃に襲来した15機からなる空襲部隊は城壁の北側の下関駅一帯を爆撃し、数千人が避難していた難民収容所に爆弾を投下した。
日本軍の上海攻略戦のため、住む家をなくした人達が戦火を逃れて南京まで避難していた難民が犠牲となったのである。
死者は百数十人となっている(37年9月23日新報)
南京空襲と同時期に日本海軍航空隊による都市爆撃は上海、漢口、杭州、南昌、広州、廈門の都市のほか、
10月中旬までに華中、華南の大小都市、60カ所が爆撃の被害にあっている。
これらの非武装都市の爆撃が、当時日本も加盟していたハーグ陸戦条約に違反する行為であったことは疑いのないことである。
これは メッセージ 5742 (yominokuni56 さん)への返信です.
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