南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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毎度のことながら、ろくに調べもしないで1

投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/05/02 13:09 投稿番号: [5176 / 41162]
>>>捕虜収容所も設けずに、逃がしたのかい?
>>南京戦従軍日記などではその具体的な様子を記述しています。
>アンタの作文じゃ信用できませんよ、資料の提出を願います。

一般の敗残兵を収容所送りにせず苦力代わりに使ったりもしていたようです。

『当時帰順してきた敗残兵を5名苦力に使っていました。「ニイ」「ニイ」では区別が付きませんのでひとりひとり名前をつけてやりましたが、凡ておぼえやすい名がいいというので、エンピ、ハイノウ、ザツノウ、ハンゴウ、スイトウと決めました。苦力も大喜び、エンピと呼べばハイと答えるといった具合に、皆よく働きました。ところがいよいよ移動することになりましたので、この5名の苦力も郷里に帰すことになりましたり、餞別など貰って別れを惜しみながら帰っていきました。・・・
大分経ってからです。そうです。多分寧国の警備についているときだったと思います。「エンピ」から手紙がまいりました。念入りにエンピと名前の傍らに書き添えてありますが、何しろ漢字ばかりで訳が分かりませんので旅団の通訳の人に読んでもらいますと、「死んでいたはずのところを助けられて、その上、春田大人にわざわざ郷里まで送っていただいて本当に有り難かった。無事帰りましたので父母も大いに喜んでいます。ご恩は決して忘れません。もし帰国の折は1日でも立ち寄ってください。御礼の真似だけでもしたいから。」という意味のことが書かれてあり最後の方には班員全員一同の姓がずらりと書き並べていかにも真心のこもった手紙でした。』
歩兵第四十五連隊(鹿児島)第十中隊   S上等兵(転戦実話   南京編より)


>捕虜収容所があったのか?なかったのか?を答えたらどうなんでしょうかね?

ありました。
幕府山の南側に少なくとも2つの捕虜収容所があり7千から1万5千人の捕虜を収容していましたし、その一部は上海の捕虜収容所まで送られていました。(そこまで移送するメリットがあるのはおそらく将校クラスだと思います。)

資料としては例えば
『さて筆者が目撃した場所はどこであったのか、大きな門の写真を撮ったが、その門の上には「駐軍八十八師司令部」の文字が読みとれる。さらに営門の両側の哨舎のうち、右の構舎には「伊佐部隊・棚橋部隊」、左の哨舎には歩哨の陰になっているが棚○○、捕虜収容所、占獲集積所」という文字が読める。「駐軍八十八師司令郡」の白いレリーフの文字は黒色に塗られていた。その下には横長に「青天白日」のデザインがレリーフになっている。八十八師といえば、中国軍の中でも蒋介石直轄の精鋭部隊として知られていた。   ところで、八十八師の営門の哨舎に書かれている「伊佐部隊・棚橋部隊」とは、上海で勇戦し感状を受けた第九師団歩兵第七連隊第三大隊の通称である。』
「従軍とは歩くこと」   南京戦史資料集II   p610〜P612
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