大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(9)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/05 16:04 投稿番号: [41035 / 41162]
1944年1月、日本軍の軍事拠点ラバウルは
完全に孤立した。
ニューギニアとニューブリテン島の間の
ダンピール海峡が
米軍に突破され、さらに
北方の諸島を
占領されたからだ。
44年3月、日本軍は
タロキナの敵陣地への反撃を試みたが、
圧倒的な米軍の火力に阻まれ、戦力をまったく喪失してしまう。
以後、ブーゲンビルの
第十七軍約3万2千、第八艦隊約2万、
計5万の陸海軍将兵は飢餓と戦いつつ敗戦を迎えることになる。
タロキナ作戦失敗後の状況は、第十七軍残務整理部が作成した
「ブーゲンビル島の作戦」
という史料に、記録されている。
タロキナ攻略作戦は全力を傾けて行はれた。
残余の軍需品も戦力を培養する為
無制限に使用されたのは当然である。
そこでこの作戦が失敗に帰したときには
食ふべき何物も
残って居らなかった。
そして銃を捨てると鍬をとった。
作戦間に荒れ果てた耕地はもとより
密林を伐開して開墾につとめた。
(中略)
土民の所有しているものが多くあらう筈がないのに
之も半ば強制的に徴発するものも出て来た。
木の芽、草の根、食べられるものはすべて食した。
海の魚はとりたくても
敵機が絶えず哨戒するし
爆薬は将来の作戦を考へればこんなことに供用は
出来なかった。
小川の魚は
すぐとり尽された。
蛋白質の給源は「トカゲ」であり
蛇であり鼠、
「バッタ」の類に
及ばざるを得なかった。
(中略)
以上のような給養状態であるから負傷したものの傷は
なかなか
癒らないし
病後の恢復は
むつかしく、
マラリアの蔓延は
之を助長した。
かくの如くして「タロキナ」
作戦にもまさる
兵力の損耗を来した。
率直に云ふならば死ぬ前に
一度、たった一度だけで良いから
腹一杯食べたい
と思ったのは
強ち死んでいった戦友だけでは
なかった。
戦線が
すでに
北太平洋に移行したので、連合軍側は
この無力化した日本軍を無視し、あえて強攻を加えることなく、
第十七軍は、もっぱら「飢餓」という強敵とのみ
戦いながら、
おびただしい数の
「戦死者」ならぬ「餓死者」を出しながら
惨めな敗戦を
迎えることになった。
「英霊」が
大量に増産された背景には、こうした惨状があった
これは メッセージ 41034 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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