南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(10)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2013/01/05 16:05 投稿番号: [41036 / 41162]
第十七軍と同じく、タロキナ作戦失敗後の   第六師団が
現地自活に移ってからの状況の例として、「戦史叢書」は
第六歩兵団司令部木下西舟少佐の   次の回想を掲げている。

   タロキナ作戦終了後の歩兵大隊の兵力は二〇〇〜三〇〇名
   であったと思うが、マラリアと栄養失調で   悲惨な状況で
   あった。   糧食の補給は   間もなく   全く   なくなった。
   現地自活に着手し、一人一畝を   耕作して、これによって
   一日   約一キログラムの芋を   収穫することにしたが、
   収穫までは   約三カ月かかるので、この間   毎日
   ジャングルの中の   野草を捜した。

   ひどい時には   飯盒の蓋一杯の   野草が食糧で、
   これに   時に澱粉椰子の団子が   加わる程度であった。
   塩は海岸で作った。
   ようやく   芋が出来始めると、今度は畑を荒す者が出た。
   畑を荒す者は   銃殺であった。
   人肉を食べた者がある   などという話も   あった。
   (引用史料:『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈5〉』)

タロキナ作戦終了後   4万余の兵力は、方面軍の報告によれば
45年の   敗戦後には   23,053名にまで   減少しており、
「大部分このような事情に基づく戦病死者であると推定される」
と書かれている。

以前、NHK教育で   「封印――脱走者たちの終戦」   という
ドキュメント番組が   放送されたことが   ある。   その内容は、
ブーゲンビル島の第六師団のすさまじい飢餓の状況にかんする
旧日本兵たちの生々しい証言だったが、その中で   食糧を求め
離隊し、終戦後に戻った兵を   逃亡兵として、裁判にもかけず、
銃殺したというもので、終戦後60日もたってから30人もが
「処刑」   された   という証言もあった。

極限の飢餓状態の中で、食糧を求めて   隊を離れた   兵士を
「敵前逃亡」の罪名を被せて、軍法会議にかけずに殺害した
ということが事実であれば、当時の日本軍が   いかに
非人道的な強制を   行なっていたかが   示されている。

食糧は、わずかながら   自給できたとしても、栄養の偏りは
避けられず、将兵の体力は   低下していった。
さらに   補給の途絶によって、医薬品も   底をついた。
44年9月ごろには、マラリアの薬が   なくなり、全部隊の
人員の   じつに95%が   マラリア経験者だった   という。

なんらの戦果も期待できず、戦略的価値を   完全に失った島で
敵からさえも無視されまま、ただ餓死者を増やし続けた皇軍に
残された   唯一の道は、一人でも多くの生命を   救うために、
いさぎよく   敗北を認めて、ただちに   降伏を   すべきだった。

しかし、皇軍には   人権感覚や   近代軍としての   判断力が、
まったく   備わっていなかった。
その無謀な体質の背景には、「死」を   美しく   粉飾し続ける
靖国思想の侵淫が   少なからず存在していたと言えるだろう。
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