南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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南京への道(3) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 20:48 投稿番号: [40957 / 41162]
一方、南京防衛軍では、司令官唐生智が   南京死守を唱えていた。
このため、退却の時期を逸し、日本軍の完全包囲を   許すことに
なってしまった。   唐生智は、12日の   午後5時になってから
はじめて   撤退命令を発し、午後6時には   まっさきに渡河して
退却した。   しかし、十数万の防衛軍は   すでに   撤退の方法が
なくなっており、一挙に   崩壊してしまった。

指揮組織が消滅し、各部隊ごとに、あるいは   各個人バラバラに、
日本軍の間隙をぬって   逃れようとした。   このため   城外では
いたるところで   混戦が起こり、部隊や   小グループ、個々人で
投降する者が   続出した。   城内は、ほとんどの城門が日本軍に
押さえられたので、ただ一つ残った   下関に通じる   ユウ江門
(「ユウ」は手偏に邑)   に殺到して   大混乱に陥った。

唐生智が脱出した   下関から   揚子江の対岸に逃れる   経路には
わずかな渡河材料が   あるだけで、大混乱になり、13日の午後、
いかだや小船で   脱出しようとする中国兵が、海軍の第十戦隊の
砲艦や駆逐艦で撃滅された。   一部は東北方に脱出しようとして
14日に   山田支隊に捕らえられた。
逃げ遅れた多くの兵士は、軍服を脱いで   安全区に逃げ込んだ。  

こうして、南京防衛軍の組織は   日本軍の入城直前には   完全に
崩壊していた。   日本軍が入城した時点で、中国兵は戦闘能力を
すでに消失していた   というのが実態であり、捕虜の大量殺害を
戦闘中の行為と称して   正当化するのは   間違っている。

中支那方面軍は、17日に   松井方面軍司令官や   朝香宮派遣軍
司令官を先頭にして、各部隊の代表が参加する入城式を挙行した。
これに先立って、城内   とくに   難民20万余が   逃げ込んだ
国際安全区(難民区)   の掃討が、徹底的に   行なわれた。
敗残兵の「剔出」   と称して、兵士の疑いのある男子を引き出し、
次々と   処刑した。   その後、第十軍は   杭州攻略に向かい、
各師団は新配置に移行し、南京の治安粛正は第十六軍が担当した。

南京侵攻戦は上海戦ほどではないにせよ、防衛軍の激しい抵抗で、
日本軍にも   多くの損害が出た。   戦闘詳報などで   明らかに
なっている数字は、戦死1558人、戦傷4619人であるが、
一部不明の記録もあるため、全体としてはこれより   やや多い
数である   と推定される。

これに対する   南京防衛軍の損害は、より莫大なものだった。
防衛軍の総兵力は   約15万人だったが、そのうち包囲網から
逃れて、脱出できたものが   約6万人、残りの   9万人のうち
戦死者が   約1万人であるから、残りの8万人が武器を捨てた
敗残兵、投降兵、捕虜になったことになる。   問題になるのは、
この大量の投降者・捕虜に対する   日本軍の「処置」の方法だ。

捕虜の殺害は、明白な   国際法違反だった。
1899年に   制定された   「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」
いわゆるハーグ条約は、捕虜に対する人道的処遇を定めている。
しかし、日中戦争が全面化したとき、陸軍中央は   この戦争を
事変と称して、戦時国際法は適用せずという方針を出していた。
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