南京への道(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 20:48 投稿番号: [40956 / 41162]
中支那方面軍に
はじめて南京攻略が
下令されたとき、すでに
その隷下の 上海派遣軍も 第十軍も、独断で 南京に向かって
進撃していた。 上海派遣軍は、11月29日には常州を占領し、
丹陽にむかって前進中であり、第十軍は11月30日に 広徳を
占領したうえで、「独断をもって南京に向かう追撃準備を促進せん
とす」 と称して、前進を命令していた。
12月1日、中支那方面軍は、一挙に南京に 向かうのではなく、
上海派遣軍は 磨盤山山系西方の線に、第十軍は 蕪湖の線に、
各々進出することを命じた。 南京防衛陣地の前面で一旦態勢を
整え、南京の包囲網を 完成しようとするものだった。
ところが、第一線の各部隊は、南京一番乗りの 功名心にかられ、
方面軍の統率をこえて急進撃を続けた。 このため兵站、輜重が
追随できないままに、南京へ向かって 殺到することになった。
こうして、無統制のまま 南京攻撃戦は はじまった。
上海派遣軍は、第十六、第九師団を 並列して 南京に進撃させ、
天谷支隊と第十三師団を 鎮江に向かわせた。 12月5日には
第十六師団は句容を、第九師団は南京防衛の 第一線陣地である
淳化鎮を 占領した。 第十軍の 第六師団と 第百十四師団は
並行して 南京に向かった。
中支那方面軍は、12月4日の時点で 両軍の南京攻撃準備線を
上天門、小衛、高橋門、雨花台、棉花地に統制する措置をとり、
12月7日には 「南京戦攻略要領」 を示達した。
要領は、両軍の作戦地境(城内を東西に区分)と配当城門を定め、
各師団の入城部隊を制限し、軍紀風紀の維持ならびに外国権益の
保護などを 示したものだった。
12月8日、各方面とも 南京防衛陣地への 攻撃が始まった。
上海派遣軍では、第十六師団が 12日に紫金山の線を占領した。
第九師団は10日には光華門まで達したが、南京防衛軍の抵抗が
予想以上に強く、その後の戦況が 進展しなかった。
また第十三師団主力は、鎮江から揚子江を渡河して 左岸に渡り、
津浦線の遮断に 向かった。 同師団の一部は山田支隊となって
12日 鎮江を出発、第十六師団の 右翼に進出して 烏龍山、
幕府山の 砲台占領に向かった。 当初、第二線兵団として
第九師団の後方を 前進していた 第三師団からは、11日に
一部の兵力を先遣隊として 南京攻撃に 参加させた。
第十軍では、第百十四師団を右、第六師団を左に 並列させて、
8日から 雨花台の堅固な陣地を攻撃した。 第六師団の一部
(歩兵第四十五聯隊)は 左翼の揚子江岸を前進し、南京から
退却する中国軍の部隊を撃破して、下関に向かった。
国崎支隊は 11日に蕪湖北方の慈湖鎮付近で 揚子江を渡り、
退路を遮断するために南京対岸の浦口に向かった。
こうして 日本軍は 南京城を完全に包囲し、紫金山、光華門、
雨花台などで 激しい攻撃が行われた。
各部隊は、城内への 一番乗りの栄誉を 競っていたが、
国内では、“南京占領近し” などといった報道が流され、
そのことも 現地軍の焦りを 誘うことになった。
その隷下の 上海派遣軍も 第十軍も、独断で 南京に向かって
進撃していた。 上海派遣軍は、11月29日には常州を占領し、
丹陽にむかって前進中であり、第十軍は11月30日に 広徳を
占領したうえで、「独断をもって南京に向かう追撃準備を促進せん
とす」 と称して、前進を命令していた。
12月1日、中支那方面軍は、一挙に南京に 向かうのではなく、
上海派遣軍は 磨盤山山系西方の線に、第十軍は 蕪湖の線に、
各々進出することを命じた。 南京防衛陣地の前面で一旦態勢を
整え、南京の包囲網を 完成しようとするものだった。
ところが、第一線の各部隊は、南京一番乗りの 功名心にかられ、
方面軍の統率をこえて急進撃を続けた。 このため兵站、輜重が
追随できないままに、南京へ向かって 殺到することになった。
こうして、無統制のまま 南京攻撃戦は はじまった。
上海派遣軍は、第十六、第九師団を 並列して 南京に進撃させ、
天谷支隊と第十三師団を 鎮江に向かわせた。 12月5日には
第十六師団は句容を、第九師団は南京防衛の 第一線陣地である
淳化鎮を 占領した。 第十軍の 第六師団と 第百十四師団は
並行して 南京に向かった。
中支那方面軍は、12月4日の時点で 両軍の南京攻撃準備線を
上天門、小衛、高橋門、雨花台、棉花地に統制する措置をとり、
12月7日には 「南京戦攻略要領」 を示達した。
要領は、両軍の作戦地境(城内を東西に区分)と配当城門を定め、
各師団の入城部隊を制限し、軍紀風紀の維持ならびに外国権益の
保護などを 示したものだった。
12月8日、各方面とも 南京防衛陣地への 攻撃が始まった。
上海派遣軍では、第十六師団が 12日に紫金山の線を占領した。
第九師団は10日には光華門まで達したが、南京防衛軍の抵抗が
予想以上に強く、その後の戦況が 進展しなかった。
また第十三師団主力は、鎮江から揚子江を渡河して 左岸に渡り、
津浦線の遮断に 向かった。 同師団の一部は山田支隊となって
12日 鎮江を出発、第十六師団の 右翼に進出して 烏龍山、
幕府山の 砲台占領に向かった。 当初、第二線兵団として
第九師団の後方を 前進していた 第三師団からは、11日に
一部の兵力を先遣隊として 南京攻撃に 参加させた。
第十軍では、第百十四師団を右、第六師団を左に 並列させて、
8日から 雨花台の堅固な陣地を攻撃した。 第六師団の一部
(歩兵第四十五聯隊)は 左翼の揚子江岸を前進し、南京から
退却する中国軍の部隊を撃破して、下関に向かった。
国崎支隊は 11日に蕪湖北方の慈湖鎮付近で 揚子江を渡り、
退路を遮断するために南京対岸の浦口に向かった。
こうして 日本軍は 南京城を完全に包囲し、紫金山、光華門、
雨花台などで 激しい攻撃が行われた。
各部隊は、城内への 一番乗りの栄誉を 競っていたが、
国内では、“南京占領近し” などといった報道が流され、
そのことも 現地軍の焦りを 誘うことになった。
これは メッセージ 40955 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.