◆お粗末な肯定論の限界と大破綻⑥
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 03:26 投稿番号: [40947 / 41162]
9.南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入った
その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、欧米メディアで”南京大虐殺”を報道した記者はダーディンとスティールのみであった。しかもパネー号誤爆事件やアリソン事件(アリソン米国領事が日本兵によって殴打された事件)よりも小さい扱いだったのである。
「私はアメリカの世論を操るために(中国政府に)雇われたのだ。」
国民党中央宣伝部顧問
ティンパーリーの『WHAT WAR MEANS』
マスコミ報道でなく国民党自身によって南京陥落直後から約300回もの記者会見を行ったが、その中で一度も「南京虐殺があった」とは言っていない。
10.第二次上海事変から勃発したシナ事変は中国側の侵略行為
シナ事変(日中戦争)は中国側の「侵略」行為〜第二次上海事変
我慢に我慢を重ねて我慢の限界を超えてやむを得ず南京攻略に至ったのです。南京に誘い込んだのは蒋介石なのです。シナ伝統の人海戦術というやつです。
『国民党軍機による8月14日の空襲により民間人3000人以上の死傷者が出た事に対し、国民党政府は遺憾の意を表明したが、租界への爆撃、もしくは誤爆はその後も発生した。(中略)日本政府は、国民党軍が上海において日本側に対しての砲撃、さらには日本の軍艦に対しての爆撃まで行ったことから14日夜から緊急閣議を開き、それまで日本側が取ってきた事態の不拡大政策を見直し、8月15日未明、「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」との声明を発表した。』
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/40947.html