否定論の限界と破綻(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/27 22:04 投稿番号: [40936 / 41162]
南京大虐殺が国際的に知られるようになったのは、市内での
敗残兵の掃蕩が 外国人の眼に 触れたことによってだった。
否定派は、敗残兵が「便衣兵」 であり、陸戦条約の要件を
満たさない ゲリラの一種であるから、捕虜待遇を受ける
資格はないのだ と主張するものも 少なくない。
南京防衛軍司令官 唐生智は、12月12日夕刻 ひそかに
揚子江を渡って逃走した。 このため防衛軍は一挙に崩壊し、
脱出を図る者、武器を捨て投降する者、軍服を脱いで市内に
潜伏する者など、日本軍の入城前に 完全に四散してしまい、
組織的にはもちろん、各個の戦闘能力さえも 消失していた。
中国兵の大量処刑は、南京が陥落し 日本軍が制圧した後に
行われたものであり、戦闘行為と 見なすことは できない。
すでに 抗戦の意図はなく、専ら逃亡目的で 平服を着用し
隠れていた兵士を 便衣兵と見なして 殺害したり、市民を
一方的に便衣兵と見なして殺害した行為は、明らかな虐殺だ。
南京陥落後に中国軍が 市内でゲリラ戦を展開した事実はない。
陥落直後の南京で、墜落した日本軍機搭乗員の遺体捜索活動に
従事した海軍将校 奥宮正武の記述を 以下に引用しておこう。
便衣兵或は便衣隊といわれていた中国人は、昭和7年の
上海事変の際はもとより、今回の 支那事変の初期にも
かなり積極的に日本軍と戦っていたが、南京陥落直後は
そうとは いえなかった。 わたしの知る限り、彼らの
ほとんどは 戦意を完全に 失って、ただ生きるために
軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。 したがって彼らを
通常いわれているゲリラと同一視することは 適当とは
思わない。(『私のみた南京事件』PHP研究所1977年)
多くの記者が南京を脱出したが、市内に残った者も 数人いた。
N・YタイムズのF・ティルマン・ダーディンは その一人だ。
彼の12月22日発航空便記事は、以下のように伝えていた。
袋の鼠となった中国兵の大多数は、戦う気力を失っていた。
何千という兵隊が、外国の安全区委員会に出頭し、武器を
手渡した。 委員会はその時、日本軍は捕虜を寛大に扱う
だろうと思い、彼らの投降を 受け入れる以外なかった。
たくさんの中国軍の集団が 個々の外国人に 身を委ね、
子供のように 庇護を求めた。
(中略)
南京を 掌握するにあたり、日本軍は、これまで続いた
日中戦争の過程で犯された いかなる虐殺より野蛮な虐殺、
略奪、強姦に熱中した。抑制のきかない日本軍の残虐性に
匹敵するものは、ヨーロッパの 暗黒時代の蛮行か、
それとも 中世のアジアの征服者の残忍な行為しかない。
無力の中国軍部隊は、ほとんどが武装を解除し、投降する
ばかりになっていたにもかかわらず、計画的に逮捕され、
処刑された。安全区委員会にその身を委ね、難民センターに
身を寄せていた何千人かの兵隊は、組織的に選び出され、
後ろ手に縛られて、城門の外側の処刑場に 連行された。
敗残兵の掃蕩が 外国人の眼に 触れたことによってだった。
否定派は、敗残兵が「便衣兵」 であり、陸戦条約の要件を
満たさない ゲリラの一種であるから、捕虜待遇を受ける
資格はないのだ と主張するものも 少なくない。
南京防衛軍司令官 唐生智は、12月12日夕刻 ひそかに
揚子江を渡って逃走した。 このため防衛軍は一挙に崩壊し、
脱出を図る者、武器を捨て投降する者、軍服を脱いで市内に
潜伏する者など、日本軍の入城前に 完全に四散してしまい、
組織的にはもちろん、各個の戦闘能力さえも 消失していた。
中国兵の大量処刑は、南京が陥落し 日本軍が制圧した後に
行われたものであり、戦闘行為と 見なすことは できない。
すでに 抗戦の意図はなく、専ら逃亡目的で 平服を着用し
隠れていた兵士を 便衣兵と見なして 殺害したり、市民を
一方的に便衣兵と見なして殺害した行為は、明らかな虐殺だ。
南京陥落後に中国軍が 市内でゲリラ戦を展開した事実はない。
陥落直後の南京で、墜落した日本軍機搭乗員の遺体捜索活動に
従事した海軍将校 奥宮正武の記述を 以下に引用しておこう。
便衣兵或は便衣隊といわれていた中国人は、昭和7年の
上海事変の際はもとより、今回の 支那事変の初期にも
かなり積極的に日本軍と戦っていたが、南京陥落直後は
そうとは いえなかった。 わたしの知る限り、彼らの
ほとんどは 戦意を完全に 失って、ただ生きるために
軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。 したがって彼らを
通常いわれているゲリラと同一視することは 適当とは
思わない。(『私のみた南京事件』PHP研究所1977年)
多くの記者が南京を脱出したが、市内に残った者も 数人いた。
N・YタイムズのF・ティルマン・ダーディンは その一人だ。
彼の12月22日発航空便記事は、以下のように伝えていた。
袋の鼠となった中国兵の大多数は、戦う気力を失っていた。
何千という兵隊が、外国の安全区委員会に出頭し、武器を
手渡した。 委員会はその時、日本軍は捕虜を寛大に扱う
だろうと思い、彼らの投降を 受け入れる以外なかった。
たくさんの中国軍の集団が 個々の外国人に 身を委ね、
子供のように 庇護を求めた。
(中略)
南京を 掌握するにあたり、日本軍は、これまで続いた
日中戦争の過程で犯された いかなる虐殺より野蛮な虐殺、
略奪、強姦に熱中した。抑制のきかない日本軍の残虐性に
匹敵するものは、ヨーロッパの 暗黒時代の蛮行か、
それとも 中世のアジアの征服者の残忍な行為しかない。
無力の中国軍部隊は、ほとんどが武装を解除し、投降する
ばかりになっていたにもかかわらず、計画的に逮捕され、
処刑された。安全区委員会にその身を委ね、難民センターに
身を寄せていた何千人かの兵隊は、組織的に選び出され、
後ろ手に縛られて、城門の外側の処刑場に 連行された。
これは メッセージ 40935 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.