歴史を勉強しているみなさんへ(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/02/03 22:06 投稿番号: [38577 / 41162]
過去の一つの時代の誤りを認めただけで、日本人の誇りが傷つく、
名誉が汚される などと「考える会」の人たちは、考えています。
これは、ほんとうに 視点が低すぎる と、私は 思います。
先にのべたように、人は 成長過程で過ちや失敗を重ねます。
そのこと自体、なんら 特殊ではなく、むしろ当たり前です。
失敗を反省し 改めるならば、恥ずべきことは ありません。
歴史も 同じです。 侵略や人権弾圧、血なまぐさい歴史も
どこの国家にも、また、どこの民族にも、大なり 小なり
きざまれています。 20世紀の 初めまでは、民族抑圧の
植民地政策などは、ヨーロッパ諸国も 行なっていました。
そのこと自体が、国家の恥ではなく、汚名でもありません。
恥だとすれば、事実を認めず、自分の間違いを認めず、
自分は正しい、誤りはない、正義だった、悪いのは他人だ、
自分は むしろ感謝されるべきだ、などと 声高に主張し、
一切の反省も 謝罪も否定する 傲慢な姿勢だと思います。
「つくる会」 の歴史の見方は、結局 この程度なのです。
自分のあやまちを いさぎよく認め、きちんと謝ることは、
たしかに 勇気のいることだ と思います。
しかし、その いさぎよさ、勇気こそ、人格者の証であり、
そういう態度をとれることこそ、「誇り」 とすべきです。
すでに 人々から過ちを指摘され、社会から糾弾された行為を
いつまでも 言い訳をくり返して 正当化しようとするならば、
ましてや 一度は 自分からあやまちを認め、謝罪を口にして
おきながら、それを 自分から くつがえすような 人間が、
どうして 社会から 信用されるでしょうか。
また、自分の過去の「功績」を、自分で宣伝し、感謝しろと
他人にうながしてみせる人を、世間は 尊敬するでしょうか。
本当に正しいことを行なっているならば、自画自賛せずとも
黙っていても 社会は 信頼と尊敬を よせてくるものです。
「つくる会」 のような、過去の 一時の過ちさえも認めず、
日本は 侵略も残虐行為も 起こしたことがない、などと
世界に通用しない、ましてや すでに 日本政府が公式に
表明した事実に 真っ向から反する戦争正当化論をもちだす
ということが、日本人の「誇り」を 取りもどすことだとは
どうしても 思えません。
むしろ、日本国民の 名誉と信用を 傷つけるものです。
日本には 悠久の歴史と、その中で育まれた文化があります。
そのことは、私たち 日本人の 大きな誇りです。
たとえ、一時期の戦争の歴史があったとしても、そのことで
汚され、誇りを失うような ちっぽけな歴史・文化ではなく
奥ふかく、はば広く、美しく、力強いものだ と思います。
「つくる会」 のような人々は、本当に この国の歴史と
文化の大きさ、深さ、すばらしさを理解しているのだろうか
と、ほんとうに 疑問に思います。
過去の一時期の侵略行為や野蛮な戦争を引き起こした誤りは
誤りとして きちんと反省し、二度とそのようなことはしない
と決意することで、国家としての名誉は 回復したのです。
軍国主義時代のことだけで、日本のすばらしい 歴史や文化が
汚されることなど けして ありません。
それなのに、「つくる会」 は、いつまでも その事実を
否定しようと 躍起になり、日本人の名誉を傷つけているのです。
日本の歴史が 一点の汚点もなく、完全無欠でなければ、
自国に対して 誇りも持てない とでもいうのでしょうか。
考え方が、本当に 幼い子どものように、浅い といえます。
名誉が汚される などと「考える会」の人たちは、考えています。
これは、ほんとうに 視点が低すぎる と、私は 思います。
先にのべたように、人は 成長過程で過ちや失敗を重ねます。
そのこと自体、なんら 特殊ではなく、むしろ当たり前です。
失敗を反省し 改めるならば、恥ずべきことは ありません。
歴史も 同じです。 侵略や人権弾圧、血なまぐさい歴史も
どこの国家にも、また、どこの民族にも、大なり 小なり
きざまれています。 20世紀の 初めまでは、民族抑圧の
植民地政策などは、ヨーロッパ諸国も 行なっていました。
そのこと自体が、国家の恥ではなく、汚名でもありません。
恥だとすれば、事実を認めず、自分の間違いを認めず、
自分は正しい、誤りはない、正義だった、悪いのは他人だ、
自分は むしろ感謝されるべきだ、などと 声高に主張し、
一切の反省も 謝罪も否定する 傲慢な姿勢だと思います。
「つくる会」 の歴史の見方は、結局 この程度なのです。
自分のあやまちを いさぎよく認め、きちんと謝ることは、
たしかに 勇気のいることだ と思います。
しかし、その いさぎよさ、勇気こそ、人格者の証であり、
そういう態度をとれることこそ、「誇り」 とすべきです。
すでに 人々から過ちを指摘され、社会から糾弾された行為を
いつまでも 言い訳をくり返して 正当化しようとするならば、
ましてや 一度は 自分からあやまちを認め、謝罪を口にして
おきながら、それを 自分から くつがえすような 人間が、
どうして 社会から 信用されるでしょうか。
また、自分の過去の「功績」を、自分で宣伝し、感謝しろと
他人にうながしてみせる人を、世間は 尊敬するでしょうか。
本当に正しいことを行なっているならば、自画自賛せずとも
黙っていても 社会は 信頼と尊敬を よせてくるものです。
「つくる会」 のような、過去の 一時の過ちさえも認めず、
日本は 侵略も残虐行為も 起こしたことがない、などと
世界に通用しない、ましてや すでに 日本政府が公式に
表明した事実に 真っ向から反する戦争正当化論をもちだす
ということが、日本人の「誇り」を 取りもどすことだとは
どうしても 思えません。
むしろ、日本国民の 名誉と信用を 傷つけるものです。
日本には 悠久の歴史と、その中で育まれた文化があります。
そのことは、私たち 日本人の 大きな誇りです。
たとえ、一時期の戦争の歴史があったとしても、そのことで
汚され、誇りを失うような ちっぽけな歴史・文化ではなく
奥ふかく、はば広く、美しく、力強いものだ と思います。
「つくる会」 のような人々は、本当に この国の歴史と
文化の大きさ、深さ、すばらしさを理解しているのだろうか
と、ほんとうに 疑問に思います。
過去の一時期の侵略行為や野蛮な戦争を引き起こした誤りは
誤りとして きちんと反省し、二度とそのようなことはしない
と決意することで、国家としての名誉は 回復したのです。
軍国主義時代のことだけで、日本のすばらしい 歴史や文化が
汚されることなど けして ありません。
それなのに、「つくる会」 は、いつまでも その事実を
否定しようと 躍起になり、日本人の名誉を傷つけているのです。
日本の歴史が 一点の汚点もなく、完全無欠でなければ、
自国に対して 誇りも持てない とでもいうのでしょうか。
考え方が、本当に 幼い子どものように、浅い といえます。
これは メッセージ 38576 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.