南京事件の解明を困難にした証拠隠滅(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/19 04:56 投稿番号: [38246 / 41162]
最近、鳥取市の
鳥取県立公文書館で、敗戦の際に日本軍が
自治体に出した 徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが
確認された。 同県日野郡二部村(現・西伯郡伯耆町)の
「兵事動員ニ関スル日誌」の 1945年8月15日の項に
はさまっていたのだ。 軍の焼却命令を伝える文書は珍しく、
軍部による 指示の具体的内容を知るうえで 貴重な資料だ。
メモは、はがき大の紙に「連隊区司令部ヨリノ通知」 として、
「現在入営並ニ応召者ノ名簿丈ケヲ残シ其他ノ兵事関係書類ヲ
全部至急焼去スル事」 などと書かれていた。
末尾には 赤字で 「二部駐在所 津島巡査」 とあり、当時、
村の駐在所に勤務していた巡査(故人)が 軍部からの命令を
書き取り、村役場に渡したもの とみられる。
召集令状の回収・焼却なども 指示されており、その内容は
日誌にも 転記されていた。 日誌の翌16日午前の項には、
「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」 との記述があり、軍の命令通り
焼却が行われた とみられる。
防衛省防衛研究所戦史部の 柴田武彦・主任研究官によると、
敗戦時の軍の焼却命令は、痕跡を残さないよう 密かに出され、
命令を伝える文書自体が 焼却の対象だった という。
軍から自治体に対する命令も 同様の扱いだったとみられる。
戦前、全国の市町村役場には「兵事係」 が置かれ、兵役や
招集など戦時対応に係る 兵事関係書類が 存在していた。
東海大の 山本和重教授(軍隊社会史)によると、現存する
兵事関係書類は、全国で わずかに 約20町村分だという。
それは、敗戦直後に 陸軍などの命令で 全国の役場などで
一斉に 焼却処分されたためだ。
市町村に対する 兵事書類の 全国一斉焼却命令だけでなく、
軍機に関係する書類の処分が 敗戦直後に 組織的行われた。
吉田裕著『現代歴史学と戦争責任』(青木書店97年) には
「敗戦前後における公文書の焼却と隠蔽」(P127〜141)
の章で 書類の焼却処分のことが 詳しく 書かれている。
たとえば、敗戦当時、官房文書課事務官だった 大山正が
「内務省の文書を 全部焼くようにという 命令がでまして、
後になってどういう人にどういう迷惑がかかるか判らないから
選択なしに 全部燃やせ ということで、内務省の裏庭で
三日三晩、えんえんと 夜空を焦がして 燃やしました」
と 回想している。
処分されず残った資料のほとんども 進駐してきた米軍に
押収されたため、主要な 軍関係資料は 残らなかった。
兵士個人が 隠し持っていたものや、米国との協定に基づき
返還を受けて 防衛省が保管しているものなどが 辛うじて
残されている というのが、残念ながら 実情なのだ。
自治体に出した 徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが
確認された。 同県日野郡二部村(現・西伯郡伯耆町)の
「兵事動員ニ関スル日誌」の 1945年8月15日の項に
はさまっていたのだ。 軍の焼却命令を伝える文書は珍しく、
軍部による 指示の具体的内容を知るうえで 貴重な資料だ。
メモは、はがき大の紙に「連隊区司令部ヨリノ通知」 として、
「現在入営並ニ応召者ノ名簿丈ケヲ残シ其他ノ兵事関係書類ヲ
全部至急焼去スル事」 などと書かれていた。
末尾には 赤字で 「二部駐在所 津島巡査」 とあり、当時、
村の駐在所に勤務していた巡査(故人)が 軍部からの命令を
書き取り、村役場に渡したもの とみられる。
召集令状の回収・焼却なども 指示されており、その内容は
日誌にも 転記されていた。 日誌の翌16日午前の項には、
「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」 との記述があり、軍の命令通り
焼却が行われた とみられる。
防衛省防衛研究所戦史部の 柴田武彦・主任研究官によると、
敗戦時の軍の焼却命令は、痕跡を残さないよう 密かに出され、
命令を伝える文書自体が 焼却の対象だった という。
軍から自治体に対する命令も 同様の扱いだったとみられる。
戦前、全国の市町村役場には「兵事係」 が置かれ、兵役や
招集など戦時対応に係る 兵事関係書類が 存在していた。
東海大の 山本和重教授(軍隊社会史)によると、現存する
兵事関係書類は、全国で わずかに 約20町村分だという。
それは、敗戦直後に 陸軍などの命令で 全国の役場などで
一斉に 焼却処分されたためだ。
市町村に対する 兵事書類の 全国一斉焼却命令だけでなく、
軍機に関係する書類の処分が 敗戦直後に 組織的行われた。
吉田裕著『現代歴史学と戦争責任』(青木書店97年) には
「敗戦前後における公文書の焼却と隠蔽」(P127〜141)
の章で 書類の焼却処分のことが 詳しく 書かれている。
たとえば、敗戦当時、官房文書課事務官だった 大山正が
「内務省の文書を 全部焼くようにという 命令がでまして、
後になってどういう人にどういう迷惑がかかるか判らないから
選択なしに 全部燃やせ ということで、内務省の裏庭で
三日三晩、えんえんと 夜空を焦がして 燃やしました」
と 回想している。
処分されず残った資料のほとんども 進駐してきた米軍に
押収されたため、主要な 軍関係資料は 残らなかった。
兵士個人が 隠し持っていたものや、米国との協定に基づき
返還を受けて 防衛省が保管しているものなどが 辛うじて
残されている というのが、残念ながら 実情なのだ。
これは メッセージ 38245 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.