Re: 事実の把握>nyankotyanndamon
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/10/19 12:28 投稿番号: [37162 / 41162]
>>ちなみに中華人民共和国は、サンフランシスコ講和条約には加わっていま せん。ようやく1972年になって「日中友好宣言」を出し、実質的な講和となります。
>↑君は良いことを言うよね、中華人民共和国とは日本は戦争をしていません。
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横レス:
サンフランシスコ平和条約(1951年9月調印)は、連合国対日本の講和条約である。当時中国国民党の政権は大陸の領土を全部失って、台湾へ逃亡したので、中国を代表する資格なしとして、参与を認められなかった。他方中国共産党政権は、朝鮮で連合国と交戦状態のままであって、連合国の敵だったから、参与を許されなかった。
サンフランシスコ条約が締結された後、日本がどちらの中国政権と講和条約を結ぶかは、日本の選択に委ねられた。選択権が敗者の手に握られるという意外な事態が発生したのだ。当時アメリカは国を挙げて中共政権を憎んでいたから、アメリカの全権代表ダレスは、蒋政権を選択するよう、吉田首相に圧力をかけた。「もし中共を選択したら、アメリカの国会はサンフランシスコ条約を批准しないかもしれない」という脅かし文句まで使った。
吉田はダレスに書簡を送って「日本は中華民国政府と条約を結ぶ」と告げた。その報に、中華民国は沸きかえるように喜んだ。台湾へ逃れて目もあてられない状態になっていた中華民国にとって、講和会談の当事者になるということは、政権の余命を支えるための重要な効果を発生するからだ。中華民国側は喜びのあまり、日本の講和使節一行の搭乗機を、戦闘機隊で海上に出迎えて、台北松山飛行場まで護衛すると発表したほどだ。しかし台湾の新聞に「戦勝国が戦敗国の使者を、恭しく出迎えするということは、歴史に前例がない」と寄稿した者があったので、この件は取りやめになった。
吉田茂は、元台湾拓殖株式会社社長河田肇を全権大使に任命し、中華民国は外交部長葉公超を全権代表に任命した。会談の場所は、台湾の台北と決まった。
アマチュア外交官河田肇に外務省の役人数人が付き添い、めざましい活躍をした。
これは メッセージ 37148 (nyankotyanndamon さん)への返信です.
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