日本帝国に植民地解放の志向は無かった⑤
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/17 07:04 投稿番号: [37098 / 41162]
前述したとおり、軍部の記録資料にも
日本軍兵士による残虐行為、
風紀紊乱による 犯罪・非行の増加が 示され、結果、性病蔓延や
ひいては 戦力低下、士気低下が深刻化していた事実が示されていた。
また、その対策として 慰安所とくに性的慰安所の確保と管理に関し
軍が 直接関与していた記録も 提示した。
これら、軍の規律低下、風紀の頽廃の原因の一つも、この戦争には
大義がなかったことを論証したところだが、なお補足しておきたい。
1937年の開戦から 1939年までの 性病入院患者は、
戦地に設けられた わずか3箇所の特設病院に限った患者数だけでも
1万6千人を超えていた という驚くべき実態が 記録されている。
(防衛研究所『支那事変ノ経験ニ基ク無形戦力・軍紀風紀資料』第5号)
これで明確に判ることは、感染機会が 内地からの帯患者よりも
戦地での感染者の方が 圧倒的に多くなっている という事実だ。
急速な軍隊の拡大による幹部と兵の素質の低下、とくに後備兵の増加が
軍紀風紀の頽廃の原因となり、その結果が、兵士個人の犯罪である
掠奪、強姦などを多出させたことが 軍部の資料からも読み取れる。
前述したように、戦場に送られた 兵士の大部分は、
突然の令状で召集された 予後備兵か 補充兵だった。
彼らは 予期しないときに、急遽 戦場に駆り出された。
その彼らに、祖国の危機に馳せ参じた 志願兵にみるような、
愛国の熱情を 期待するのは 土台から 無理なことだった。
国民の愛国心に訴えるような 大儀名分が、この「事変」には
存在しなかった。 日中戦争は、かつての どの戦争よりも大規模で
深刻な戦争となったにも関わらず、宣戦の詔書も だされなかった。
宣戦の詔勅のかわりに出されたものが 政府声明だったが、そこでは
「暴戻支那ノ膺懲」、略して「暴支膺懲」が 戦争目的だとしている。
とくに 日本の国土が侵略の危機に さらされているわけではなく、
相手が言うことを聞かないから懲らしめてやる、というだけでは
国民を奮起させるのに十分な スローガンとは 言えなかった。
しかも 兵士の大部分が、予備や後備の召集兵で、すでに一般社会の
生活に馴染み、家族も多く、後顧の憂いを抱えた人々だった。
これでは、とても 志気旺盛とは いえないのが実情だったのだ。
このような状況が犯罪行為の増加に結びついた証拠が以下の資料だ。
応召者ニ極メテ多ク又応召者ノ犯セシ罪質ハ軍成立ノ根元ニ触ルル
対上官犯或ハ 聖戦完遂ヲ妨害スベキ 掠奪、強盗、強姦等
極メテ悪質ナルモノ多発シアリ。 此ニ依リテ観ルモ軍紀振作上
在郷軍人ノ教育指導ニハ格別ナル配慮ヲ要スルモノト思料セラル。
(陸密第1955号「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」陸軍省)
とくに応召者に 掠奪や強姦など「きわめて悪質」な犯罪が 多発し
深刻だとして、注意を喚起し、在郷軍人の指導に配慮が必要である
と指摘している。
日中戦争初期の2年間に限っても、すでに 軍紀上の犯罪が多発し、
傾向としては やはり予備役、後備役など 召集された兵隊に多く、
それは 「聖戦完遂ヲ妨害スル」 ほど悪質なものであるということを
軍部当局においても 認識されていた ということだ。
風紀紊乱による 犯罪・非行の増加が 示され、結果、性病蔓延や
ひいては 戦力低下、士気低下が深刻化していた事実が示されていた。
また、その対策として 慰安所とくに性的慰安所の確保と管理に関し
軍が 直接関与していた記録も 提示した。
これら、軍の規律低下、風紀の頽廃の原因の一つも、この戦争には
大義がなかったことを論証したところだが、なお補足しておきたい。
1937年の開戦から 1939年までの 性病入院患者は、
戦地に設けられた わずか3箇所の特設病院に限った患者数だけでも
1万6千人を超えていた という驚くべき実態が 記録されている。
(防衛研究所『支那事変ノ経験ニ基ク無形戦力・軍紀風紀資料』第5号)
これで明確に判ることは、感染機会が 内地からの帯患者よりも
戦地での感染者の方が 圧倒的に多くなっている という事実だ。
急速な軍隊の拡大による幹部と兵の素質の低下、とくに後備兵の増加が
軍紀風紀の頽廃の原因となり、その結果が、兵士個人の犯罪である
掠奪、強姦などを多出させたことが 軍部の資料からも読み取れる。
前述したように、戦場に送られた 兵士の大部分は、
突然の令状で召集された 予後備兵か 補充兵だった。
彼らは 予期しないときに、急遽 戦場に駆り出された。
その彼らに、祖国の危機に馳せ参じた 志願兵にみるような、
愛国の熱情を 期待するのは 土台から 無理なことだった。
国民の愛国心に訴えるような 大儀名分が、この「事変」には
存在しなかった。 日中戦争は、かつての どの戦争よりも大規模で
深刻な戦争となったにも関わらず、宣戦の詔書も だされなかった。
宣戦の詔勅のかわりに出されたものが 政府声明だったが、そこでは
「暴戻支那ノ膺懲」、略して「暴支膺懲」が 戦争目的だとしている。
とくに 日本の国土が侵略の危機に さらされているわけではなく、
相手が言うことを聞かないから懲らしめてやる、というだけでは
国民を奮起させるのに十分な スローガンとは 言えなかった。
しかも 兵士の大部分が、予備や後備の召集兵で、すでに一般社会の
生活に馴染み、家族も多く、後顧の憂いを抱えた人々だった。
これでは、とても 志気旺盛とは いえないのが実情だったのだ。
このような状況が犯罪行為の増加に結びついた証拠が以下の資料だ。
応召者ニ極メテ多ク又応召者ノ犯セシ罪質ハ軍成立ノ根元ニ触ルル
対上官犯或ハ 聖戦完遂ヲ妨害スベキ 掠奪、強盗、強姦等
極メテ悪質ナルモノ多発シアリ。 此ニ依リテ観ルモ軍紀振作上
在郷軍人ノ教育指導ニハ格別ナル配慮ヲ要スルモノト思料セラル。
(陸密第1955号「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」陸軍省)
とくに応召者に 掠奪や強姦など「きわめて悪質」な犯罪が 多発し
深刻だとして、注意を喚起し、在郷軍人の指導に配慮が必要である
と指摘している。
日中戦争初期の2年間に限っても、すでに 軍紀上の犯罪が多発し、
傾向としては やはり予備役、後備役など 召集された兵隊に多く、
それは 「聖戦完遂ヲ妨害スル」 ほど悪質なものであるということを
軍部当局においても 認識されていた ということだ。
これは メッセージ 37096 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.