南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

日本帝国に植民地解放の志向は無かった④

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/17 06:36 投稿番号: [37096 / 41162]
当時の   日本帝国に、本当に   植民地解放の志向が   あったのなら、
血なまぐさい戦争を引き起こすよりも   以前に、国際社会に対して
真剣に   民族自主権の回復、植民地諸国の独立を訴えていたはずだ。
そして、誰よりも   率先して   自らの植民地支配を解消すると共に、
他民族の主権を尊重し、他国領土への軍事的干渉を中止したはずだ。

しかし、実際には   日本が取り続けた政策は、植民地での独立運動を
徹底して武力弾圧することや、海外への派兵、近隣諸国に対する
軍事的圧力の強化だった。   国際社会からの批判や経済制裁を招き、
国内の反戦論や   植民地解放運動への弾圧を   顕著化させた事実は、
当時の日本に平和を希求する意志など存在しなかったことの表れだ。

苦し紛れに、日本が   第一次大戦後の国際会議において提案した
「人種的差別撤廃提案」を   持ち出す   愚か者も   いるらしいが、
同提案は、欧米列強に対して   日本の国際的地位の向上や、当時
問題となっていた日系移民への差別を解決することを目指すもの
であり、植民地の独立を促すものではないのだから   的はずれだ。

また、仮に   百歩譲って、日本が提起した人種的差別撤廃提案に
植民地独立の願意も含まれていたかもしれないと仮定してみても、
この提案は   1919(大正8)年のものであり、「大東亜戦争」
突入までの期間、はたして   何度、再提案された   というのか。
事実に照らして見れば、戦争に突入するほどの根拠にはならない。

靖国神社などが、「植民地解放」目的であった   と美化する戦争。
その実相を記録するものの一つが、シンガポールの公園内に立つ
四本の柱からなる   「血債の塔」と呼ばれる   祈念碑だ。
正式名称は、「日本占領時期死難人民記念碑」   という。

1941年12月8日、日本軍は   真珠湾攻撃の数時間前から
マレー半島への上陸作戦と並行して   シンガポールを空爆し、
翌42年2月15日に   シンガポールを占領。   直後に山下奉文
司令官名の「布告」をだし、中国系住民を指定地へ集合させた。

日本軍は「良民登録」のため   と説明したが、実際には現場を
封鎖して   虐殺対象者を選別し、氏名を英語で書いた者や
眼鏡をかけた者は   「知識人」で   「抗日」だろうといった
いい加減な基準で、集めた人々を、トラックで人気のない
海岸などに運び、まとめて   殺害したのだ。

「華僑粛清」と称した   この作戦は、マレー半島でも行なわれ、
多くの住民が   虐殺されたのだ。   1961年12月には、
イーストコーストの工事現場から、白骨が続々と発掘された。
その記憶を留める「血債の塔」は、67年に   完成したものだ。
虐殺は   5万人にのぼった、というのが   シンガポールでは
「共通の認識」となっている。

犠牲者数をめぐっては、元日本軍政当局幹部が   「5千人」と
著書で書いたり、日本政府が   教科書検定で「2万人」という
記述を「6千人以上」に書き換えさせ問題が起きたこともある。
例え   5千人だとしても、非戦闘員を大量に虐殺したのは事実。
それで、アジア解放を目指した聖戦だった   と強弁するのは、
あまりにも   厚顔無恥だ   といえるだろう。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)