南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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「植民地解放戦争」という虚言について⑦

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/10/15 21:24 投稿番号: [37056 / 41162]
靖国教団信者が   「植民地解放戦争」と賛美する   太平洋戦争。
しかし、その戦争は   泥沼化した日中戦争の   延長上にあった。

ナチス・ドイツは、39年に   ポーランドに侵攻。翌40年6月には
フランスが降伏した。   この電撃的な侵攻は、世界を震撼させた。
当時、中国との戦争が泥沼に陥っていた日本は、ドイツの欧州での
戦争を、日中戦争打開の好機   ととらえた。
ドイツとの戦争で弱っているイギリス、フランス、オランダが持つ
アジア太平洋の植民地を、武力行使により支配下におこうとした。

フランス降伏の翌月、日本は、大本営政府連絡会議で「世界情勢の
推移に伴ふ時局処理要綱」で   アジアに対する武力行使方針を決定。
さらに「皇国の大東亜新秩序建設のための生存圏について」を決定、
「独伊との交渉において、皇国の大東亜新秩序建設のための生存圏
として考慮すべき範囲は、日満支を根幹とし、旧独領委任統治諸島、
仏領インド及び同太平洋島嶼、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、
蘭領東インド、ビルマ、豪州、ニュージーランドならびにインド等
とす」とした。

これらの方針の   どこにも   植民地解放の理念は   示されていない。
日本は、ドイツと組んで   世界戦争に参戦することで、
世界秩序を一変させ、日中戦争の打開を   はかろうとしたのだ。
イギリス、フランスなどのアジアの植民地を『生存圏』としたのは、
その世界戦争のための   資源を獲得するために   ほかならなかった。

40年9月、日独伊三国同盟を結ぶのと   ほぼ同時に、日本軍は
フランス領北部インドシナに進駐。   41年7月の御前会議では、
さらなる「南方進出」   方針を打ち出し、「対英米戦を辞せず」と
決定(「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」)した。
続いてフランス領南部インドシナへの   武力侵略を   開始した。
もちろん、そこに   「民族解放」目的など存在していなかった。

南方進出方針を承認した   昭和天皇でさえ、この手法について
「相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き所謂火事場泥棒式」
と   語っていた(『木戸幸一日記』)。  
天皇も「火事場泥棒」のようだと評した   日本の南方進出に対して
国際社会が   石油の禁輸措置など制裁策をとったのは、当然のこと
であった   と言えるだろう。

「大東亜戦争」の最中、1943年5月の大本営政府連絡会議では、
占領した南方諸地域に対する方針   「大東亜政略指導大綱」を決定。
そこでは、東南アジアの   扱いについて、
「マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは   帝国領土と
決定」   する、と明記されている。
その他の地域についても、「満州国」   並みの政府を作らせて
「独立」   の形をとるが、日本の支配権は確保する   とした。

「帝国領土」と   傀儡政府づくりとの   この仕分けそのものは、
情勢の変動とともに変化するが、各地域に   どちらの支配形態を
割り当てようと、東南アジアを   日本の支配下に置く   という方針は
終始一貫していたのだ。
これが、靖国教団が流布する大本営発表=「アジア解放の聖戦」の
実相であり、歴史の真実だ。  

近代国家として発展する途上の段階においては、いかなる国家、
いかなる民族にも   “負の歴史”は、存在している。
日本も例外ではない。   したがって、過去の行為そのものが  
日本という国や   日本民族の名誉を   汚すものではない。  
歴史の真実に向き合おうとしない   卑劣な態度が   恥なのだ。
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