南京事件の原因について①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/08/10 06:26 投稿番号: [36518 / 41162]
南京虐殺事件の背景として、まず第1に
旧日本軍の内部においては
当時 国際的に高まりつつあった人権意識が 比較的希薄だったこと、
その上に、中国人への根強い差別意識の存在を 挙げることができる。
列強による侵略で疲弊し弱体化した隣国人民に対する侮蔑感覚は、
日清・日露戦争等を経て 軍部から一般国民にまで 定着していた。
1899年に制定された 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」は、
捕虜に対する 人道的処遇について定めたものであり、
人権尊重の観念の生まれた近代社会になって、はじめて
戦争の遂行について 国際的な規範を示したものだった。
この条約には日本政府も加入し、1912年に 批准している。
日本帝国は、みずからを近代国家として 世界に認知させようと
努力していた時期には、この戦時国際法を 積極的に遵守していた。
たとえば、日露戦争におけるロシア人捕虜への紳士的な対応や
第一次大戦におけるドイツ人捕虜に対する収容所での厚遇など、
当時の日本は 国際条約の「模範的」な履行者だった。
しかし、欧米列強と肩を並べ 植民地帝国の一員となった時期、
とくに アジア人に対する蔑視から生ずる 強圧的な外交政策、
軍事力を前提とした人権抑圧が しだいに 露骨になっていき、
自らを欧米に替わり支配すべき東亜の盟主と位置づけるに至る。
中国大陸や東南アジアへの武力侵攻には、そうした背景もあった。
南京事件において、とくに問題となるのは、
婦女暴行や市民虐殺など民間人に対する残虐行為ばかりではなく、
大量の中国人捕虜の殺害が組織的に行なわれた という点にある。
武器を捨てて 投降した多数の捕虜を 一旦は収容しておきながら
裁判にもかけずに殺害した行為は、明白な国際法違反にあたる。
なぜ、このような 違法な捕虜虐殺が 横行したのだろうか。
防衛研究所には、旧日本軍の関係資料が 保存されている。
1933年1月に、陸軍歩兵学校が 参考書として配布した
「対支那軍戦闘法ノ研究」 というパンフレットの中には
「捕虜ノ処置」という項目があり、以下のように書かれている。
(中国人の)捕虜ハ 他列国人ニ対スル如ク 必ズシモ之レヲ
後送監禁シテ 戦局ヲ待ツヲ要セズ (中略)
支那人ハ戸籍法完全ナラザルノミナラズ特ニ兵員ハ浮浪者多ク
其存在ヲ確認セラレアルモノ少キヲ以テ 仮ニ之レヲ殺害又ハ
他ノ地方ニ放ツモ 世間的ニ問題トナルコト無シ
中国人捕虜は 他国人のような処遇を しなくてもよい――
中国軍兵士の多くは浮浪者であるから、これを殺害したとしても
世間的に問題となることはない―― と記述しているのだ。
この文書には、あきらかに 中国の人々への蔑視があらわれている。
当時、日本人には 他のアジア諸国民を見下す思想が根付いていた。
それに加えて 日本軍の、少なくとも 陸軍将校たちは、
このような参考書によって、対中国戦術を 学んでいたことになる。
当時 国際的に高まりつつあった人権意識が 比較的希薄だったこと、
その上に、中国人への根強い差別意識の存在を 挙げることができる。
列強による侵略で疲弊し弱体化した隣国人民に対する侮蔑感覚は、
日清・日露戦争等を経て 軍部から一般国民にまで 定着していた。
1899年に制定された 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」は、
捕虜に対する 人道的処遇について定めたものであり、
人権尊重の観念の生まれた近代社会になって、はじめて
戦争の遂行について 国際的な規範を示したものだった。
この条約には日本政府も加入し、1912年に 批准している。
日本帝国は、みずからを近代国家として 世界に認知させようと
努力していた時期には、この戦時国際法を 積極的に遵守していた。
たとえば、日露戦争におけるロシア人捕虜への紳士的な対応や
第一次大戦におけるドイツ人捕虜に対する収容所での厚遇など、
当時の日本は 国際条約の「模範的」な履行者だった。
しかし、欧米列強と肩を並べ 植民地帝国の一員となった時期、
とくに アジア人に対する蔑視から生ずる 強圧的な外交政策、
軍事力を前提とした人権抑圧が しだいに 露骨になっていき、
自らを欧米に替わり支配すべき東亜の盟主と位置づけるに至る。
中国大陸や東南アジアへの武力侵攻には、そうした背景もあった。
南京事件において、とくに問題となるのは、
婦女暴行や市民虐殺など民間人に対する残虐行為ばかりではなく、
大量の中国人捕虜の殺害が組織的に行なわれた という点にある。
武器を捨てて 投降した多数の捕虜を 一旦は収容しておきながら
裁判にもかけずに殺害した行為は、明白な国際法違反にあたる。
なぜ、このような 違法な捕虜虐殺が 横行したのだろうか。
防衛研究所には、旧日本軍の関係資料が 保存されている。
1933年1月に、陸軍歩兵学校が 参考書として配布した
「対支那軍戦闘法ノ研究」 というパンフレットの中には
「捕虜ノ処置」という項目があり、以下のように書かれている。
(中国人の)捕虜ハ 他列国人ニ対スル如ク 必ズシモ之レヲ
後送監禁シテ 戦局ヲ待ツヲ要セズ (中略)
支那人ハ戸籍法完全ナラザルノミナラズ特ニ兵員ハ浮浪者多ク
其存在ヲ確認セラレアルモノ少キヲ以テ 仮ニ之レヲ殺害又ハ
他ノ地方ニ放ツモ 世間的ニ問題トナルコト無シ
中国人捕虜は 他国人のような処遇を しなくてもよい――
中国軍兵士の多くは浮浪者であるから、これを殺害したとしても
世間的に問題となることはない―― と記述しているのだ。
この文書には、あきらかに 中国の人々への蔑視があらわれている。
当時、日本人には 他のアジア諸国民を見下す思想が根付いていた。
それに加えて 日本軍の、少なくとも 陸軍将校たちは、
このような参考書によって、対中国戦術を 学んでいたことになる。