大本営発表「アジア解放のための聖戦」③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/08/07 05:43 投稿番号: [36470 / 41162]
当時の日本帝国に、本当に
植民地解放の志向が
あったのなら、
国際社会に対し、繰り返し 真剣に、「植民地の解放・独立」を
訴えていたはずだ が、その事実はない。
聞くところでは、歴史に無知な輩の中には この史実を覆そうとして
苦し紛れに、日本が 第一次大戦後の 国際会議において提案した
「人種的差別撤廃提案」を 持ち出してくる 愚か者も いるらしい。
日本は、白人至上主義と不平等条約に 長年悩まされてきた経験から、
人種差別の撤廃を実現すると同時に、当時 深刻化していた移民問題、
特に 米国内での日本人差別問題を解決したい という意図があった。
日本の提案は、国際連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な
処遇を約す」との文言を盛り込む というものであり、人種によって
優劣をつけない、差別はしない、という理念をかかげる内容だった。
この提案は、文字通り人種的差別撤廃を期すものであり、その意図は
白人至上主義に対抗して、黄色人種国家の日本が自らの国際的地位を
確固とすることに主眼が置かれ、また日系移民への差別や冷遇に対し
改善の実現を念頭におくものであって、「アジア諸国の独立」などは
目的ではない ということは、人並の頭の持ち主ならば理解できる。
よりによって 日本帝国がアジア諸国独立を希求したという根拠に
この提案を持ち出してくる マヌケぶりは、嘲笑するほかない。
余談だが、人種差別の概念自体は 近代西洋の価値観に根ざしており
生物学的差異をもって 主に白人以外の人間を差別することを指す。
しばしば 民族差別と混同されるが、言語・宗教などの文化による
差異に対する差別は、人種差別と 基本的に異なるものだ。
人種差別は、優生学や黄禍論などにも結びつき、かつて米国における
中国人排斥法や排日移民法など露骨な差別法制定にもつながっていた。
もちろん 人種差別は、植民地政策とも関係し、白人国家による
有色人種支配の正統性を主張する根拠となっていたことは否定しない。
事実、当時 世界最大の植民地支配国家であった 大英帝国が
日本の提案に 真っ向から反対したのは、その証左の一つだろう。
移民問題を抱える米国も これに同調し、結局 提案は否決された。
百歩譲って、日本の人種的差別撤廃提案には植民地諸国独立の願意も
含まれていたかもしれない と仮定してみよう。
そうだとしても、この提案は 1919(大正8)年のものだ。
「大東亜戦争」突入までの期間、何度 再提案されたと言うのか。
仮に人種差別が撤廃されたとして、同じ黄色人種である中国人や
朝鮮人に対する 日本による占領・支配の解消には結びつかない。
1919年は、朝鮮半島で 3・1独立運動が起きた年に当たる。
中国で 5・4運動が起きたのも 同年だ。 日本がアジア諸国に
植民地支配を強化しながら軍事的圧力を増強し、諸国民から不審を
招き始めた時期だ。 このように日本は派兵や占領に熱心だったが、
他国の主権や民族自決の尊重について行動で表すことは皆無だった。
朝鮮では、その後も 独立運動が続き、3・1運動から10年の間に
「6・10万歳運動」や 「光州学生運動」などが起きた。
日本は、大量の警察官を 内地から半島に派遣し、1919年の
6,387人から 翌年には20,134人へと 急増させるなど
朝鮮全土に日本軍や警察を配置し、独立運動の監視体制を強化した。
西大門刑務所には 数多くの独立運動家が 収容され、処刑された。
朝鮮総督府警察は、日本内地の警察にはない 機関銃や野砲などの
重装備を保有し、準軍事組織的性格を 有していた。
植民地支配強化に血道をあげていた 軍国日本の いったい何処に
民族解放・独立推進の志向があった と言うのだろうか。
国際社会に対し、繰り返し 真剣に、「植民地の解放・独立」を
訴えていたはずだ が、その事実はない。
聞くところでは、歴史に無知な輩の中には この史実を覆そうとして
苦し紛れに、日本が 第一次大戦後の 国際会議において提案した
「人種的差別撤廃提案」を 持ち出してくる 愚か者も いるらしい。
日本は、白人至上主義と不平等条約に 長年悩まされてきた経験から、
人種差別の撤廃を実現すると同時に、当時 深刻化していた移民問題、
特に 米国内での日本人差別問題を解決したい という意図があった。
日本の提案は、国際連盟規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な
処遇を約す」との文言を盛り込む というものであり、人種によって
優劣をつけない、差別はしない、という理念をかかげる内容だった。
この提案は、文字通り人種的差別撤廃を期すものであり、その意図は
白人至上主義に対抗して、黄色人種国家の日本が自らの国際的地位を
確固とすることに主眼が置かれ、また日系移民への差別や冷遇に対し
改善の実現を念頭におくものであって、「アジア諸国の独立」などは
目的ではない ということは、人並の頭の持ち主ならば理解できる。
よりによって 日本帝国がアジア諸国独立を希求したという根拠に
この提案を持ち出してくる マヌケぶりは、嘲笑するほかない。
余談だが、人種差別の概念自体は 近代西洋の価値観に根ざしており
生物学的差異をもって 主に白人以外の人間を差別することを指す。
しばしば 民族差別と混同されるが、言語・宗教などの文化による
差異に対する差別は、人種差別と 基本的に異なるものだ。
人種差別は、優生学や黄禍論などにも結びつき、かつて米国における
中国人排斥法や排日移民法など露骨な差別法制定にもつながっていた。
もちろん 人種差別は、植民地政策とも関係し、白人国家による
有色人種支配の正統性を主張する根拠となっていたことは否定しない。
事実、当時 世界最大の植民地支配国家であった 大英帝国が
日本の提案に 真っ向から反対したのは、その証左の一つだろう。
移民問題を抱える米国も これに同調し、結局 提案は否決された。
百歩譲って、日本の人種的差別撤廃提案には植民地諸国独立の願意も
含まれていたかもしれない と仮定してみよう。
そうだとしても、この提案は 1919(大正8)年のものだ。
「大東亜戦争」突入までの期間、何度 再提案されたと言うのか。
仮に人種差別が撤廃されたとして、同じ黄色人種である中国人や
朝鮮人に対する 日本による占領・支配の解消には結びつかない。
1919年は、朝鮮半島で 3・1独立運動が起きた年に当たる。
中国で 5・4運動が起きたのも 同年だ。 日本がアジア諸国に
植民地支配を強化しながら軍事的圧力を増強し、諸国民から不審を
招き始めた時期だ。 このように日本は派兵や占領に熱心だったが、
他国の主権や民族自決の尊重について行動で表すことは皆無だった。
朝鮮では、その後も 独立運動が続き、3・1運動から10年の間に
「6・10万歳運動」や 「光州学生運動」などが起きた。
日本は、大量の警察官を 内地から半島に派遣し、1919年の
6,387人から 翌年には20,134人へと 急増させるなど
朝鮮全土に日本軍や警察を配置し、独立運動の監視体制を強化した。
西大門刑務所には 数多くの独立運動家が 収容され、処刑された。
朝鮮総督府警察は、日本内地の警察にはない 機関銃や野砲などの
重装備を保有し、準軍事組織的性格を 有していた。
植民地支配強化に血道をあげていた 軍国日本の いったい何処に
民族解放・独立推進の志向があった と言うのだろうか。
これは メッセージ 36469 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.