大本営発表「アジア解放のための聖戦」①
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/08/07 05:41 投稿番号: [36468 / 41162]
靖国教団の
宣伝文句によれば、日本軍が引き起こした太平洋戦争は
“アジア解放のための 『聖戦』であった”―― と 定義されている。
当時の日本帝国に、植民地解放の志向が 本当に あったのならば、
血なまぐさい戦争を引き起こすよりも 以前に、国際社会に対して
「植民地の解放・独立」を 繰り返し 真剣に訴えていた はずだ。
そして、誰よりも率先して 自らの植民地支配を 解消しただろう。
民族主権を尊重するなら 他国への軍事的干渉を厳に慎んだはずだ。
しかし 実際に、日本帝国が 取り続けた行動は、武力を背景として
植民地での独立運動を 徹底的に弾圧することや、他国領土へ派兵、
軍事的圧力の強化だった。 当時、一言でも 植民地解放論や
反戦・平和論などを唱えた者は、危険思想の持ち主と見なされた。
たとえば 朝鮮では、自主権回復・独立を求める運動が繰り返され、
その都度 徹底した弾圧が 続けられていた。
有名な事例では、民衆が決起し 朝鮮全土にわたり展開された
「3・1独立運動」が あげられる。
以下に、ウィキペディアの解説の一部を 抜粋して引用する。
三・一運動は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった
運動。(中略)高宗の急死後、国葬が行われる3月3日に向けて
独立運動が計画されるようになった。中心となったのは天道教や
キリスト教、そして仏教の指導者たちである。彼等は会合を重ね
大衆化・一元化・非暴力の三原則を取り決めた。
3月1日午後京城(現・ソウル)中心部パゴダ公園に宗教指導者
らが集い、「独立宣言」を読み上げることを計画した。実際には
仁寺洞の泰和館に変更され、そこで宣言を朗読し万歳三唱をした
(中略) 独立宣言は、以下の一文から始まっている。
「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である
事を宣言する。 これを以て世界万邦に告げ 人類平等の大義を
克明にし、これを以て子孫万代に告げ 民族自存の正当な権利を
永久に所有せしむるとする。」
タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
この宣言書は 何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
国民である朝鮮人民が自由であることに重きを置いたものであり
そしてそれは 「人類平等の大義」と 「民族自存」という原理に
基づくものとして 捉えられている。
この他、朝鮮という民族国家が発展し幸福であるためには独立を
確立すべきこと、(中略)朝鮮の独立によって日本及びそこに住む
人々との間に正しい友好関係を樹立することなどが 宣言の骨子と
なっている。特徴的なのは その戦闘性の希薄さであって、日本に
対する独立宣言でありながら、その日本に対し真の友好関係樹立を
呼びかけている。 これは非暴力理念を反映した結果といえる。
発端となった民族代表33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を
読み上げるはずであったパゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、
その後市内をデモ行進した。 道々「独立万歳」と叫ぶデモには、
次々に市民が参加し、数万人規模となったという。 (中略)結果、
朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。
朝鮮総督府は 警察に加え軍隊も投入して 治安維持に当たった。
以上、ウィキの解説から 一部引用したものだ。
この運動は、当時の日本帝国に 大きな衝撃を与えるものだった。
しかし、もとより当時の日本に 植民地解放の意志は 微塵もなく、
独立という朝鮮民族の悲願は、日本帝国の敗戦、「皇軍」の崩壊を
待たなければ、達成されなかったのだ。
“アジア解放のための 『聖戦』であった”―― と 定義されている。
当時の日本帝国に、植民地解放の志向が 本当に あったのならば、
血なまぐさい戦争を引き起こすよりも 以前に、国際社会に対して
「植民地の解放・独立」を 繰り返し 真剣に訴えていた はずだ。
そして、誰よりも率先して 自らの植民地支配を 解消しただろう。
民族主権を尊重するなら 他国への軍事的干渉を厳に慎んだはずだ。
しかし 実際に、日本帝国が 取り続けた行動は、武力を背景として
植民地での独立運動を 徹底的に弾圧することや、他国領土へ派兵、
軍事的圧力の強化だった。 当時、一言でも 植民地解放論や
反戦・平和論などを唱えた者は、危険思想の持ち主と見なされた。
たとえば 朝鮮では、自主権回復・独立を求める運動が繰り返され、
その都度 徹底した弾圧が 続けられていた。
有名な事例では、民衆が決起し 朝鮮全土にわたり展開された
「3・1独立運動」が あげられる。
以下に、ウィキペディアの解説の一部を 抜粋して引用する。
三・一運動は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった
運動。(中略)高宗の急死後、国葬が行われる3月3日に向けて
独立運動が計画されるようになった。中心となったのは天道教や
キリスト教、そして仏教の指導者たちである。彼等は会合を重ね
大衆化・一元化・非暴力の三原則を取り決めた。
3月1日午後京城(現・ソウル)中心部パゴダ公園に宗教指導者
らが集い、「独立宣言」を読み上げることを計画した。実際には
仁寺洞の泰和館に変更され、そこで宣言を朗読し万歳三唱をした
(中略) 独立宣言は、以下の一文から始まっている。
「我らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である
事を宣言する。 これを以て世界万邦に告げ 人類平等の大義を
克明にし、これを以て子孫万代に告げ 民族自存の正当な権利を
永久に所有せしむるとする。」
タイトルに、そして冒頭の一文に明確に述べられているように、
この宣言書は 何よりも朝鮮が独立した国家であること、及び
国民である朝鮮人民が自由であることに重きを置いたものであり
そしてそれは 「人類平等の大義」と 「民族自存」という原理に
基づくものとして 捉えられている。
この他、朝鮮という民族国家が発展し幸福であるためには独立を
確立すべきこと、(中略)朝鮮の独立によって日本及びそこに住む
人々との間に正しい友好関係を樹立することなどが 宣言の骨子と
なっている。特徴的なのは その戦闘性の希薄さであって、日本に
対する独立宣言でありながら、その日本に対し真の友好関係樹立を
呼びかけている。 これは非暴力理念を反映した結果といえる。
発端となった民族代表33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を
読み上げるはずであったパゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、
その後市内をデモ行進した。 道々「独立万歳」と叫ぶデモには、
次々に市民が参加し、数万人規模となったという。 (中略)結果、
朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。
朝鮮総督府は 警察に加え軍隊も投入して 治安維持に当たった。
以上、ウィキの解説から 一部引用したものだ。
この運動は、当時の日本帝国に 大きな衝撃を与えるものだった。
しかし、もとより当時の日本に 植民地解放の意志は 微塵もなく、
独立という朝鮮民族の悲願は、日本帝国の敗戦、「皇軍」の崩壊を
待たなければ、達成されなかったのだ。