貢女
投稿者: giant_aho 投稿日時: 2004/09/28 22:17 投稿番号: [3207 / 41162]
「立ち直れない韓国」
黄文雄
1998年
光文社
朝鮮半島国家管理売春史の歴史歪曲
最近、朝鮮史の専門家まで、朝鮮の「妓生(キーセン)」は、ただの「踊り子」や「楽師」、せいぜい日本の「芸者」のようなもので、「娼妓」、「売春婦」ではない、と美化する傾向がある。それは、朝鮮娼妓史に対する無知か、それとも知っていても、わざと歴史歪曲しているかのどちらかに違いない。朝鮮の妓生は、ただ詞をつくったり、詩を吟じたり、あるいは楽器を弾きながら、両班・貴族たちと酒を汲み交わしたりする、芸能人やら文学少女であったかのように美化することは、明らかに歴史歪曲の確信犯である。朝鮮半島の妓生は、それが官妓(官庁に置かれたキーセン)であろうと、芸のみ売って、春を売らなかったという歴史認識は明らかに勉強不足だ。
(中略)
朝鮮の宗主国への営妓(軍隊慰安婦)、官妓の進貢は元の時代からすでに正史や野史に表われている。しかし統一新羅の時代から、唐軍に強制連行された高句麗、百済人は、婦女子が多かった。彼女らの運命は奴婢に、もしくは官妓、宮妓、営妓、私妓になることは、当時の社会背景からみれば推測できる。元の時代になってから、朝鮮半島は一躍、東アジア最大の宦官と貢女(女の献上品)の供給地となったことは、諸史に散見できる。また貢女や営妓の献上についての要求は、ベつに朝鮮半島とは限らず、すでにジンギスカンの時代に、征服された中央アジア諸国の国王は、競って美女と名馬を献上したので、高麗国王も貢女を要求された。それは処女を原則とし、しばしば国中の結婚を禁止して、要求に応ぜざるをえない場合もあった。もちろんそれは汗(皇帝)の宮廷に限らず、諸王や権臣もたびたび貢女を要求した。貢女には、宮妓だけでなく、官妓や営妓になるものもみられた。高麗が元に服属した後の元宗15年3月、元からの南宋軍人のために、高麗の婦女140名を要求したことがあった。高麗政府は「結婚都監」を設け、市井の独女、逆賊の妻、僧人の女を集めて、数を満たした。そのときは処女、童女ではなく、独身婦女や罪人の妻を強制連行して、1人の化粧代を絹12匹(布地24反に相当)で、モンゴル政府に売ったのである。これは政府という国家権力による人身売買と強制連行ともいえよう。その翌年の忠烈元年に、元は蛮子軍(南宋の降人部隊)1400人を高麗に送ってきたので、蛮子軍に営妓を売るために高麗政府は「寡婦処女推考別監」を設け、役人を諸道に出して婦女を推考、選別していたこともあった。
(中略)
教材として日韓の教科書に採用された幻の「従軍慰安婦」そのものが、はたして存在していたか、いなかったか、今日でも未決のままである。「なかった」派の主張によれば、「政府が直接関与した例は一つもなかった」である。しかし、韓国人からすれば、かつて朝鮮半島は宗主国の中華帝国諸王朝に貢女を進貢するアジア最大の貢女の産地であった。現在でも世界有数の国家管埋売春の国である。長い歴史文化と現在の「状況論理」からすれば、「(従軍慰安婦は)存在したに決まっている」と想像するのも無理からぬことだ。しかし、どうみても「あったか、なかったか」はっきりしないことを、無理やりに「あった」ことにして教科書で教え、相手に「謝罪」を強要することは、はたして良識にかなうものだろうか。そこにも「正しい歴史認識」が必要となろう。
朝鮮半島国家管理売春史の歴史歪曲
最近、朝鮮史の専門家まで、朝鮮の「妓生(キーセン)」は、ただの「踊り子」や「楽師」、せいぜい日本の「芸者」のようなもので、「娼妓」、「売春婦」ではない、と美化する傾向がある。それは、朝鮮娼妓史に対する無知か、それとも知っていても、わざと歴史歪曲しているかのどちらかに違いない。朝鮮の妓生は、ただ詞をつくったり、詩を吟じたり、あるいは楽器を弾きながら、両班・貴族たちと酒を汲み交わしたりする、芸能人やら文学少女であったかのように美化することは、明らかに歴史歪曲の確信犯である。朝鮮半島の妓生は、それが官妓(官庁に置かれたキーセン)であろうと、芸のみ売って、春を売らなかったという歴史認識は明らかに勉強不足だ。
(中略)
朝鮮の宗主国への営妓(軍隊慰安婦)、官妓の進貢は元の時代からすでに正史や野史に表われている。しかし統一新羅の時代から、唐軍に強制連行された高句麗、百済人は、婦女子が多かった。彼女らの運命は奴婢に、もしくは官妓、宮妓、営妓、私妓になることは、当時の社会背景からみれば推測できる。元の時代になってから、朝鮮半島は一躍、東アジア最大の宦官と貢女(女の献上品)の供給地となったことは、諸史に散見できる。また貢女や営妓の献上についての要求は、ベつに朝鮮半島とは限らず、すでにジンギスカンの時代に、征服された中央アジア諸国の国王は、競って美女と名馬を献上したので、高麗国王も貢女を要求された。それは処女を原則とし、しばしば国中の結婚を禁止して、要求に応ぜざるをえない場合もあった。もちろんそれは汗(皇帝)の宮廷に限らず、諸王や権臣もたびたび貢女を要求した。貢女には、宮妓だけでなく、官妓や営妓になるものもみられた。高麗が元に服属した後の元宗15年3月、元からの南宋軍人のために、高麗の婦女140名を要求したことがあった。高麗政府は「結婚都監」を設け、市井の独女、逆賊の妻、僧人の女を集めて、数を満たした。そのときは処女、童女ではなく、独身婦女や罪人の妻を強制連行して、1人の化粧代を絹12匹(布地24反に相当)で、モンゴル政府に売ったのである。これは政府という国家権力による人身売買と強制連行ともいえよう。その翌年の忠烈元年に、元は蛮子軍(南宋の降人部隊)1400人を高麗に送ってきたので、蛮子軍に営妓を売るために高麗政府は「寡婦処女推考別監」を設け、役人を諸道に出して婦女を推考、選別していたこともあった。
(中略)
教材として日韓の教科書に採用された幻の「従軍慰安婦」そのものが、はたして存在していたか、いなかったか、今日でも未決のままである。「なかった」派の主張によれば、「政府が直接関与した例は一つもなかった」である。しかし、韓国人からすれば、かつて朝鮮半島は宗主国の中華帝国諸王朝に貢女を進貢するアジア最大の貢女の産地であった。現在でも世界有数の国家管埋売春の国である。長い歴史文化と現在の「状況論理」からすれば、「(従軍慰安婦は)存在したに決まっている」と想像するのも無理からぬことだ。しかし、どうみても「あったか、なかったか」はっきりしないことを、無理やりに「あった」ことにして教科書で教え、相手に「謝罪」を強要することは、はたして良識にかなうものだろうか。そこにも「正しい歴史認識」が必要となろう。
これは メッセージ 3206 (giant_aho さん)への返信です.