収蔵資料に拠れば「皆殺セトノコトナリ」
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/15 22:26 投稿番号: [25966 / 41162]
防衛研究所資料室には、南京攻略戦に直接参加した部隊の中で、
上海派遣軍では
第十六師団の歩兵第三十三聯隊と
歩兵第三十八聯隊、
第九師団の歩兵第七聯隊、第三師団歩兵第六十八聯隊の第一、第三大隊、
第十軍では
第百十四師団の歩兵第六十六聯隊第一大隊、
歩兵第百五十聯隊、国崎支隊、歩兵第四十一聯隊の第三大隊、
同第十二中隊の
戦闘詳報などが
所蔵されている。
また、多くの関係将兵の日記も
収蔵されている。
第十六師団長の日記によると、同師団は
12月13日の一日だけで
2万4千〜5千人の捕虜を「片づけた」と記録しており、
同師団の旅団長も「我支隊のみで二万以上の敵は解決した」としている。
また、同師団隷下の歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報では、
13日に捕虜2,896を「処断」したと記録されている。
上記の師団長日記が、もしも
誇大な数を記したものと仮定しても、
第十六師団全体では、少なくとも2万人を超す捕虜を殺したと考えられる。
上海派遣軍のなかで、もっとも組織的に捕虜の大量殺害を実行したのは
第十三師団歩兵第百三旅団指揮下の歩兵第六十五聯隊基幹Y支隊だ。
同支隊は、12月14日に幕府山付近で14,777名を捕虜にした。
この人数は、当時の国内の新聞にも報道されており、
同支隊の幹部や兵士の日記にも記録されているものだ。
上海派遣軍の参謀長の12月15日の日記にも
「支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ、尚増加ノ見込」
とあることから、14日以降も捕虜は増え続けていたことがわかる。
支隊は、この大量の捕虜を
いったんは収容したが、
隊の兵力の数倍にのぼる数で、その給養にも困惑した。
支隊長の日記によると、14日には
「恰モ発見セシ上元門外ノ学校ニ収容セシ所、一四七七七名ヲ得タリ」
「斯ク多クテハ殺スモ生カスモ困ツタモノナリ」、
15日には「捕虜ノ仕末其他ニテ騎兵少尉ヲ南京ニ派遣シ連絡ス」
「皆殺セトノコトナリ」と
記されている。
確認しておくべきことは、これが
日本軍全体でなく、
一個支隊だけが行なった事実の記録だ
ということだ。
残念ながら、加害者である日本軍は、敗戦にあたって多くの記録、
資料を隠滅してしまったために、ごく一部しか窺い知れないのが実態だ。
日本軍全体での虐殺行為は、推定によらなければならないが、
少なくとも、一個支隊だけで
大量の殺害が行なわれたことは
確かだ。
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