「虐殺命令」を受けた日本兵
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/13 07:12 投稿番号: [25900 / 41162]
南京攻略にあたって問題となるのは、武装を解除して降伏した敵兵を
戦時法規に違反して 大量に「処分」したことだけでなく、何よりも
一般民衆に対する 殺害・略奪・強姦などの残虐行為の発生だった。
陣中日記などの資料や 従軍した旧日本兵の数多くの証言などに
南京戦における日本軍の様相の一端が 生々しく記憶・記録されている。
そのごく一部だけを見ても、当時の南京周辺での実態が垣間見られる。
第16師団歩兵第33連隊第1大隊に所属した兵士は、次のように証言する。
南京戦の時、当時の宮さん(朝香宮)から命令があって、その命令は
中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部
殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のこと
を書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
南京虐殺をマボロシだなどと否定する者は、一般民衆を虐殺せよなどいう
日本軍の命令書は残っていない、などと幼稚でマヌケな論理を振りかざす。
しかし、加害者側が 犯行の証拠を隠滅するのは当然のことであるし、
また、仮に 軍司令部から統括的に虐殺命令が出ていなかったとしても、
少なくとも、日本軍の各階級において 虐殺命令が出されたという
「受け止め方」をされていたことを示す資料は 数多くある。
第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に
「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」
という無茶苦茶な命令が届いた。
(平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社)P405)
南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、
「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。
兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。
婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに
手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。
その残酷さは目をおおわせるものがあった。
夜半、帰還兵の一人、泣き上戸の彼が泣きわめきながら、
「許してくれ―おれのせいじゃないんだぞ―」と、
暗いローソクのもとで半狂乱の姿をさらしていた。
(朝香進一「初年兵日記」 P140)
なぜ、こうした残虐行為が行われ、また それを防げなかったのだろうか。
南京攻略より以前において、すでに日本軍は 中国軍を追撃するなかで
一般民衆と接触する機会が頻繁となっていた。
第十軍は、杭州湾上陸に先立つ10月21日、将兵に対し
「軍参謀長の注意事項」を通達したが、その中の「支那住民ニ対スル注意」
では 次のように 一般住民に対する断乎たる処置を求めている。
北支殊ニ上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、子供ト
雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ、或ハ日本軍ノ位置ヲ敵ニ知ラシメ、或ハ敵ヲ
誘導シテ日本軍ヲ襲撃セシメ、或ハ日本軍ノ単独兵ニ危害ヲ加フル等
寔ニ油断ナリ難キ実例多キヲ以テ、特ニ注意ヲ必要トス
殊ニ後方部隊ニ於テ然リトス、斯ノ如キ行為ヲ認メシ場合ニ於テ
些モ仮借スルコトナク断乎タル処置ヲ執ルベシ
(防衛研究所図書館所蔵「昭和12年陸支密大日記」)
中国一般住民は老人、女性、子供であっても敵に通じ、油断できない存在
であるから、怪しい者は断固として処置せよ、という指示であり、
どこにも 非戦闘員の安全は保護すべきという考えは 示されていない。
すべての民衆を敵とみなせという命令さえ下していた具体的例としては、
上海南方地域の掃蕩にあたった第三師団の歩兵第六聯隊第二大隊の
11月11日付の大隊長命令による攻撃計画などがある。以下、引用。
一般ノ領民ハ総テ城内ニ避難シアルヲ以テ城外ニ在ル一切ノ者ハ
敵意ヲ有スルモノト認メ之ヲ殲滅ス
掃蕩ニ方リテハ家屋ヲ焼却スルヲ便トスルヲ以テ之ガ材料ヲ準備
スルコト
つまり、城外にいる一切の人間を殺し、家屋を焼き払うことを命じたのだ。
それでなくとも 日本兵は、中国軍の予想以上に頑強な抵抗戦により
苦戦を強いられ、多くの犠牲者がでたことで 中国人への憎悪にあふれ、
さらに 後方補給のないまま 強引な物資の「現地徴発」を重ねて
追撃したうえに、「支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ」
ているのだと刷り込まれていたのだ。
そのうえに 一切の区別なく殺し、村落も焼き払え と命じられれば、
極限状態の兵隊たちがどのような行動をとったかは、想像するに難くない。
戦時法規に違反して 大量に「処分」したことだけでなく、何よりも
一般民衆に対する 殺害・略奪・強姦などの残虐行為の発生だった。
陣中日記などの資料や 従軍した旧日本兵の数多くの証言などに
南京戦における日本軍の様相の一端が 生々しく記憶・記録されている。
そのごく一部だけを見ても、当時の南京周辺での実態が垣間見られる。
第16師団歩兵第33連隊第1大隊に所属した兵士は、次のように証言する。
南京戦の時、当時の宮さん(朝香宮)から命令があって、その命令は
中隊長か小隊長から聞いたけど、「犬も猫も含め生きている者は全部
殺せ」ちゅう命令やった。天皇陛下の命令やと言ったな。当時のこと
を書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
南京虐殺をマボロシだなどと否定する者は、一般民衆を虐殺せよなどいう
日本軍の命令書は残っていない、などと幼稚でマヌケな論理を振りかざす。
しかし、加害者側が 犯行の証拠を隠滅するのは当然のことであるし、
また、仮に 軍司令部から統括的に虐殺命令が出ていなかったとしても、
少なくとも、日本軍の各階級において 虐殺命令が出されたという
「受け止め方」をされていたことを示す資料は 数多くある。
第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に
「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」
という無茶苦茶な命令が届いた。
(平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社)P405)
南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、
「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。
兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。
婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに
手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。
その残酷さは目をおおわせるものがあった。
夜半、帰還兵の一人、泣き上戸の彼が泣きわめきながら、
「許してくれ―おれのせいじゃないんだぞ―」と、
暗いローソクのもとで半狂乱の姿をさらしていた。
(朝香進一「初年兵日記」 P140)
なぜ、こうした残虐行為が行われ、また それを防げなかったのだろうか。
南京攻略より以前において、すでに日本軍は 中国軍を追撃するなかで
一般民衆と接触する機会が頻繁となっていた。
第十軍は、杭州湾上陸に先立つ10月21日、将兵に対し
「軍参謀長の注意事項」を通達したが、その中の「支那住民ニ対スル注意」
では 次のように 一般住民に対する断乎たる処置を求めている。
北支殊ニ上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、子供ト
雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ、或ハ日本軍ノ位置ヲ敵ニ知ラシメ、或ハ敵ヲ
誘導シテ日本軍ヲ襲撃セシメ、或ハ日本軍ノ単独兵ニ危害ヲ加フル等
寔ニ油断ナリ難キ実例多キヲ以テ、特ニ注意ヲ必要トス
殊ニ後方部隊ニ於テ然リトス、斯ノ如キ行為ヲ認メシ場合ニ於テ
些モ仮借スルコトナク断乎タル処置ヲ執ルベシ
(防衛研究所図書館所蔵「昭和12年陸支密大日記」)
中国一般住民は老人、女性、子供であっても敵に通じ、油断できない存在
であるから、怪しい者は断固として処置せよ、という指示であり、
どこにも 非戦闘員の安全は保護すべきという考えは 示されていない。
すべての民衆を敵とみなせという命令さえ下していた具体的例としては、
上海南方地域の掃蕩にあたった第三師団の歩兵第六聯隊第二大隊の
11月11日付の大隊長命令による攻撃計画などがある。以下、引用。
一般ノ領民ハ総テ城内ニ避難シアルヲ以テ城外ニ在ル一切ノ者ハ
敵意ヲ有スルモノト認メ之ヲ殲滅ス
掃蕩ニ方リテハ家屋ヲ焼却スルヲ便トスルヲ以テ之ガ材料ヲ準備
スルコト
つまり、城外にいる一切の人間を殺し、家屋を焼き払うことを命じたのだ。
それでなくとも 日本兵は、中国軍の予想以上に頑強な抵抗戦により
苦戦を強いられ、多くの犠牲者がでたことで 中国人への憎悪にあふれ、
さらに 後方補給のないまま 強引な物資の「現地徴発」を重ねて
追撃したうえに、「支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ」
ているのだと刷り込まれていたのだ。
そのうえに 一切の区別なく殺し、村落も焼き払え と命じられれば、
極限状態の兵隊たちがどのような行動をとったかは、想像するに難くない。