実際に行なわれていた銃剣での刺殺②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2008/09/01 18:57 投稿番号: [25759 / 41162]
南京虐殺否定論の典型的「論客」(笑)の馬鹿ネコくんは、
上海派遣軍の参謀部第2課=「情報課」であったことも知らずに、
参謀部には情報課などない、と 寝言を書き込む。
その程度だからこそ、南京虐殺はなかった などと、
平気で ホザけるのだろう。
馬鹿ネコくんは、以前にも 「捕虜を刺殺した」という日本兵の証言を
否定するために、日本軍の小銃は 銃剣で捕虜を刺殺すると
「銃身が曲がり」、使いものにならなくなった、そのため、
「日本軍兵士は銃剣を使用しなかった」、だから「捕虜を刺殺した」
という日本軍兵士の証言はウソだ、という 珍論をホザいていた。
しかし、銃剣使用によって 銃身が曲がり、小銃が使えなくなった、だとか
それを理由として 日本軍では 銃剣の使用を取りやめた、などという
可笑しな記録も、証言も、当然のことながら 存在してはいない。
馬鹿ネコくんも、何ら証拠は 示せなかった。
南京虐殺否定論者などは、せいぜい この程度の、珍論提示者なのだ。
銃剣が使用できなかった などという可笑しな記録は 見当たらないが、
その逆に、銃剣を使用した という記録は、数かぎりなくある。
たとえば、第十軍第百十四師団歩兵第六十六聯隊第一大隊の戦闘詳報には
12月10日から13日のあいだに 捕虜1,657人を捕らえたこと、
この捕虜を 旅団命令で、14日に すべて殺害したことを記述している。
そして その殺害方法が 「刺殺」であったことを 記録しているのだ。
以下に 13日の記事を抜粋する。
八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ
其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
(中略)
九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ監視兵ヲ
附ス 午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル
結果、各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ連連五十名宛レ出シ、
第一中隊ハ路営地南方谷地 第三中隊ハ路営地西南方凹地
第四中隊ハ露営地東南谷地ニ於テ 刺殺セシムルコトトセリ
但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ
察知サレザル如ク注意ス
各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分
刺殺ヲ終リ 聯隊ニ報告ス
第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、銃剣ノ前ニ
乗リ出シ従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願
セルモノアリ 特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ
武装を解除して収容した捕虜を殺害することは、国際法規違反であり
それ以前に 人道に反する 残虐行為にほかならない。
ひとつの隊だけに限っても、上記のような 数日にもわたる
組織的な大量殺害が 実行されたのだ。
日本軍全体での捕虜殺害は、いったい どれ程のものだったのだろうか
想像を絶する 膨大な犠牲者であったことは 間違いないだろう。
上海派遣軍の参謀部第2課=「情報課」であったことも知らずに、
参謀部には情報課などない、と 寝言を書き込む。
その程度だからこそ、南京虐殺はなかった などと、
平気で ホザけるのだろう。
馬鹿ネコくんは、以前にも 「捕虜を刺殺した」という日本兵の証言を
否定するために、日本軍の小銃は 銃剣で捕虜を刺殺すると
「銃身が曲がり」、使いものにならなくなった、そのため、
「日本軍兵士は銃剣を使用しなかった」、だから「捕虜を刺殺した」
という日本軍兵士の証言はウソだ、という 珍論をホザいていた。
しかし、銃剣使用によって 銃身が曲がり、小銃が使えなくなった、だとか
それを理由として 日本軍では 銃剣の使用を取りやめた、などという
可笑しな記録も、証言も、当然のことながら 存在してはいない。
馬鹿ネコくんも、何ら証拠は 示せなかった。
南京虐殺否定論者などは、せいぜい この程度の、珍論提示者なのだ。
銃剣が使用できなかった などという可笑しな記録は 見当たらないが、
その逆に、銃剣を使用した という記録は、数かぎりなくある。
たとえば、第十軍第百十四師団歩兵第六十六聯隊第一大隊の戦闘詳報には
12月10日から13日のあいだに 捕虜1,657人を捕らえたこと、
この捕虜を 旅団命令で、14日に すべて殺害したことを記述している。
そして その殺害方法が 「刺殺」であったことを 記録しているのだ。
以下に 13日の記事を抜粋する。
八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ
其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
(中略)
九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ監視兵ヲ
附ス 午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル
結果、各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ連連五十名宛レ出シ、
第一中隊ハ路営地南方谷地 第三中隊ハ路営地西南方凹地
第四中隊ハ露営地東南谷地ニ於テ 刺殺セシムルコトトセリ
但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ
察知サレザル如ク注意ス
各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分
刺殺ヲ終リ 聯隊ニ報告ス
第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、銃剣ノ前ニ
乗リ出シ従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願
セルモノアリ 特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ
武装を解除して収容した捕虜を殺害することは、国際法規違反であり
それ以前に 人道に反する 残虐行為にほかならない。
ひとつの隊だけに限っても、上記のような 数日にもわたる
組織的な大量殺害が 実行されたのだ。
日本軍全体での捕虜殺害は、いったい どれ程のものだったのだろうか
想像を絶する 膨大な犠牲者であったことは 間違いないだろう。
これは メッセージ 25744 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.