Re: 731部隊の真実 PART 3
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/02/01 09:11 投稿番号: [22266 / 41162]
アメリカ本土に細菌戦を持ち込む計画】
1944年、日本の敗戦間近、東京の軍立案者はアメリカ本土を攻撃する、とて
つもない計画に取りつかれた。彼らは、巨大な風船を飛ばし、アメリカ大陸への気流
に乗せたのである。
当時、アメリカは報道管制をしいていたが、約二百個の爆弾を積んだ風船が西部
に到達し、モンタナ州では一人の婦人が、また、オレゴン州では六人が犠牲となった。
しかし、事態はもっと深刻になったかもしれない可能性を示す証拠が半世紀後に
出てきた。ある日本人将校は、アメリカでペストや炭疸病をはやらせるため、生物兵
器を風船に積むことを提案した。また他の陸軍部隊はアメリカの畜産業を壊滅させる
ために家畜の疫病ウィルスを送るとか、穀物を壊滅させるために黒穂病菌を送ること
を主張したのである。
東京では熾烈な議論があった。最近発見された記録によると、戦後、戦争犯罪で
絞首刑にされた東条英機は、1944年7月のある重要な会議で、アメリカに対し細
菌戦を行う提案を拒否したそうである。当時、東条は首相および参謀総長の地位を解
任されていたが、彼は依然として提案を拒否できるほどの影響力を有していたのであ
る。
東条は、日本がやがて戦争に負けることを知っていたが、アメリカに生物戦をし
かけると、アメリカから生物兵器または化学兵器で報復されることを恐れたのである。
しかし、日本軍は明らかに生物兵器を場合によっては使用するつもりでいた。1
944年晩春、アメリカが太平洋サイパン島に対する攻撃を準備していたとき、種類
は不明であるが、ある生物兵器を積んだ潜水艦が日本からサイパン守備隊に派遣され
た。ところが、潜水艦は沈められたので、日本は通常兵器のみに頼らざるを得なかっ
たと常石教授は語っている。
1945年、戦争も終わりに近づいたとき、731部隊はある悪だくみに乗り出
した。コード名「夜桜」と名付けられた計画は、カリフォルニアをペストで汚染する
ために、神風特攻隊を使うものであった。731部隊の新兵訓練係であるミゾブチ・
トシミは、構想は1945年7月、ハルビンに到着した新しい軍隊500名のうち、
20名を使うものであったと語った。
そのうち何人かを潜水艦で南カリフォルニアに運び、艦上に積んだ飛行機を使い、
ペストに感染させたノミでサンディエゴを汚染する予定であった。その決行日は45
年9月22日であった。
現在、愛媛県在住のオバタ・イシオ、73歳は、サンディエゴ攻撃の「夜桜」計
画の主任であったことを認めている。しかし、彼は「恐ろしい過去である、思い出し
たくない」と多くを語ろうとしなかった。
イシマル・タダオ、73歳は、日本帰国後にサンディエゴ攻撃隊の候補であるこ
とを知った。彼は電話のインタビューに対し、「731部隊については考えたくもな
い。戦後50年も過ぎた。どうか私をそっとして下さい」と答えた。
「夜桜」計画は実行の機会があったかどうかは不明である。かって日本は、翼を
胴体の方へ折りたためるタイプの飛行機を2,3機運べるような潜水艦を少なくとも
5艘は持っていた。
しかし、日本海軍の専門家は、「夜桜」計画のような陸軍の計画のために、海軍
の機材を使うことは無理であったとしている。理由として、1945年夏の段階では
本土防衛が最優先であり、アメリカ本土攻撃など問題外であるとしている。もし「夜
桜」計画が真剣なものであったら、1945年8月上旬、降伏の話どころではなかっ
たであろう。
終戦間際、8月9日から731部隊は細菌戦の証拠をすべて消し去るためにダイ
ナマイトで爆破したと学者は述べている。
1944年、日本の敗戦間近、東京の軍立案者はアメリカ本土を攻撃する、とて
つもない計画に取りつかれた。彼らは、巨大な風船を飛ばし、アメリカ大陸への気流
に乗せたのである。
当時、アメリカは報道管制をしいていたが、約二百個の爆弾を積んだ風船が西部
に到達し、モンタナ州では一人の婦人が、また、オレゴン州では六人が犠牲となった。
しかし、事態はもっと深刻になったかもしれない可能性を示す証拠が半世紀後に
出てきた。ある日本人将校は、アメリカでペストや炭疸病をはやらせるため、生物兵
器を風船に積むことを提案した。また他の陸軍部隊はアメリカの畜産業を壊滅させる
ために家畜の疫病ウィルスを送るとか、穀物を壊滅させるために黒穂病菌を送ること
を主張したのである。
東京では熾烈な議論があった。最近発見された記録によると、戦後、戦争犯罪で
絞首刑にされた東条英機は、1944年7月のある重要な会議で、アメリカに対し細
菌戦を行う提案を拒否したそうである。当時、東条は首相および参謀総長の地位を解
任されていたが、彼は依然として提案を拒否できるほどの影響力を有していたのであ
る。
東条は、日本がやがて戦争に負けることを知っていたが、アメリカに生物戦をし
かけると、アメリカから生物兵器または化学兵器で報復されることを恐れたのである。
しかし、日本軍は明らかに生物兵器を場合によっては使用するつもりでいた。1
944年晩春、アメリカが太平洋サイパン島に対する攻撃を準備していたとき、種類
は不明であるが、ある生物兵器を積んだ潜水艦が日本からサイパン守備隊に派遣され
た。ところが、潜水艦は沈められたので、日本は通常兵器のみに頼らざるを得なかっ
たと常石教授は語っている。
1945年、戦争も終わりに近づいたとき、731部隊はある悪だくみに乗り出
した。コード名「夜桜」と名付けられた計画は、カリフォルニアをペストで汚染する
ために、神風特攻隊を使うものであった。731部隊の新兵訓練係であるミゾブチ・
トシミは、構想は1945年7月、ハルビンに到着した新しい軍隊500名のうち、
20名を使うものであったと語った。
そのうち何人かを潜水艦で南カリフォルニアに運び、艦上に積んだ飛行機を使い、
ペストに感染させたノミでサンディエゴを汚染する予定であった。その決行日は45
年9月22日であった。
現在、愛媛県在住のオバタ・イシオ、73歳は、サンディエゴ攻撃の「夜桜」計
画の主任であったことを認めている。しかし、彼は「恐ろしい過去である、思い出し
たくない」と多くを語ろうとしなかった。
イシマル・タダオ、73歳は、日本帰国後にサンディエゴ攻撃隊の候補であるこ
とを知った。彼は電話のインタビューに対し、「731部隊については考えたくもな
い。戦後50年も過ぎた。どうか私をそっとして下さい」と答えた。
「夜桜」計画は実行の機会があったかどうかは不明である。かって日本は、翼を
胴体の方へ折りたためるタイプの飛行機を2,3機運べるような潜水艦を少なくとも
5艘は持っていた。
しかし、日本海軍の専門家は、「夜桜」計画のような陸軍の計画のために、海軍
の機材を使うことは無理であったとしている。理由として、1945年夏の段階では
本土防衛が最優先であり、アメリカ本土攻撃など問題外であるとしている。もし「夜
桜」計画が真剣なものであったら、1945年8月上旬、降伏の話どころではなかっ
たであろう。
終戦間際、8月9日から731部隊は細菌戦の証拠をすべて消し去るためにダイ
ナマイトで爆破したと学者は述べている。
これは メッセージ 22265 (fukagawatohei さん)への返信です.