Re: 731部隊の真実 PART 2
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2008/02/01 09:08 投稿番号: [22265 / 41162]
起源、武器禁止法が誘因】
日本の生物兵器計画は1930年からスタートした。これは皮肉にも1925年、
ジュネーブ条約で細菌戦が禁止されたことがきっかけになったのである。日本の官僚
は、生物兵器がたいへん恐ろしいという理由で禁止されたのなら、それはとてつもな
く有効な兵器に違いないと考えたのである。
かって、日本陸軍は中国のかなりの地域を占領したのであるが、満州のハルビン
近くでは、八つの村の住人を立ち退かせ、731部隊本部への道を開いた。日本軍に
とって満州の利点は、細菌をテストするとき研究対象の人間が簡単に手に入ることで
あった。彼らは「丸太」と呼ばれたが、多くは共産党シンパまたは一般犯罪者であっ
た。国籍は大部分が中国人であったが、中には中国から追放されたロシア人も多くい
た。
かって731部隊で働き、現在、ここ日本の北部である盛岡(岩手県)に住むワ
ノ・タケオ(71歳)は以前、高さ1.8mの広口ビンに塩漬けされた西洋人を見た
ことがあると語った。彼によれば、その人はそのあたりに多く住んでいたロシア人の
一人ではないかという。
731部隊本部にはそのような広口ビンや試料がたくさんあった。その中には足
や頭、内臓器官などが入っていて、きちんとラベルが貼ってあった。匿名希望の73
1部隊の古参隊員は、「ラベルには、米国人、英国人、フランス人などと書かれてい
たが、多くは中国人、朝鮮人、蒙古人であった。米国人と書かれたものは胴体、手、
足であったが、その一部は別な部隊に送られた」と語った。
かって瀋陽(Mukden)で捕虜となり、医学実験にされたと告発しているアメリカ
人もいるが、今のところ、731部隊収容所にアメリカ人の犠牲者がいたとする証拠
はない。
医学研究者は、感染した囚人を健康な人と一緒にさせ、疫病がどのように広がる
かとか、圧力室の中で人体は目玉が飛び出す前に、どれくらい耐えられるかなどとい
った実験を行った。
犠牲者たちはしばしば安達(アンダー)と呼ばれた野外実験場に引っぱり出され
た。新技術の効果を見るために、そこで杭に縛り付けられ、試験兵器の爆撃にさらさ
れた。飛行機は培養された病原菌や、菌が寄食したノミを一帯にばらまいてどれくら
いの人が死ぬかを確かめた。
日本軍は中国軍との戦闘において毒ガスを用いたが、さらに致死性の高いガスを
開発するために囚人を使った。先ほどの匿名希望の元731部隊員は毒ガスの効果を
観察するために、「野外出張」と称して実験場に行かされたといっている。
そこで囚人たちは杭に縛り付けられ、タンクのような特殊車が毒ガスを浴びせた。
しかし、ちょうどそのとき風向きが変わり、観察者の方に毒ガスが流れてきたので、
とても観察どころでなく、部隊員はほうほうの体で逃げたという。
日本軍は、研究室の外で生物戦が有効かどうか確かめるために、しばしば実地試
験を行った。飛行機はペストに感染したノミを、中国東部の寧波(ニンボ)や中央部
北の常徳などに落とした。のちにペストの発生が報告された。
同じように、日本軍はコレラ菌やチフス菌を井戸や池に投げ込んだ。しかし、結
果は裏目に出ることもあった。1942年、細菌戦の専門家は赤痢菌、コレラ菌やチ
フス菌を中国・逝江省にばらまいた。しかし、日本軍自身やられ、1、700人が死
んだと学者たちは主張している。
日本の生物兵器計画は1930年からスタートした。これは皮肉にも1925年、
ジュネーブ条約で細菌戦が禁止されたことがきっかけになったのである。日本の官僚
は、生物兵器がたいへん恐ろしいという理由で禁止されたのなら、それはとてつもな
く有効な兵器に違いないと考えたのである。
かって、日本陸軍は中国のかなりの地域を占領したのであるが、満州のハルビン
近くでは、八つの村の住人を立ち退かせ、731部隊本部への道を開いた。日本軍に
とって満州の利点は、細菌をテストするとき研究対象の人間が簡単に手に入ることで
あった。彼らは「丸太」と呼ばれたが、多くは共産党シンパまたは一般犯罪者であっ
た。国籍は大部分が中国人であったが、中には中国から追放されたロシア人も多くい
た。
かって731部隊で働き、現在、ここ日本の北部である盛岡(岩手県)に住むワ
ノ・タケオ(71歳)は以前、高さ1.8mの広口ビンに塩漬けされた西洋人を見た
ことがあると語った。彼によれば、その人はそのあたりに多く住んでいたロシア人の
一人ではないかという。
731部隊本部にはそのような広口ビンや試料がたくさんあった。その中には足
や頭、内臓器官などが入っていて、きちんとラベルが貼ってあった。匿名希望の73
1部隊の古参隊員は、「ラベルには、米国人、英国人、フランス人などと書かれてい
たが、多くは中国人、朝鮮人、蒙古人であった。米国人と書かれたものは胴体、手、
足であったが、その一部は別な部隊に送られた」と語った。
かって瀋陽(Mukden)で捕虜となり、医学実験にされたと告発しているアメリカ
人もいるが、今のところ、731部隊収容所にアメリカ人の犠牲者がいたとする証拠
はない。
医学研究者は、感染した囚人を健康な人と一緒にさせ、疫病がどのように広がる
かとか、圧力室の中で人体は目玉が飛び出す前に、どれくらい耐えられるかなどとい
った実験を行った。
犠牲者たちはしばしば安達(アンダー)と呼ばれた野外実験場に引っぱり出され
た。新技術の効果を見るために、そこで杭に縛り付けられ、試験兵器の爆撃にさらさ
れた。飛行機は培養された病原菌や、菌が寄食したノミを一帯にばらまいてどれくら
いの人が死ぬかを確かめた。
日本軍は中国軍との戦闘において毒ガスを用いたが、さらに致死性の高いガスを
開発するために囚人を使った。先ほどの匿名希望の元731部隊員は毒ガスの効果を
観察するために、「野外出張」と称して実験場に行かされたといっている。
そこで囚人たちは杭に縛り付けられ、タンクのような特殊車が毒ガスを浴びせた。
しかし、ちょうどそのとき風向きが変わり、観察者の方に毒ガスが流れてきたので、
とても観察どころでなく、部隊員はほうほうの体で逃げたという。
日本軍は、研究室の外で生物戦が有効かどうか確かめるために、しばしば実地試
験を行った。飛行機はペストに感染したノミを、中国東部の寧波(ニンボ)や中央部
北の常徳などに落とした。のちにペストの発生が報告された。
同じように、日本軍はコレラ菌やチフス菌を井戸や池に投げ込んだ。しかし、結
果は裏目に出ることもあった。1942年、細菌戦の専門家は赤痢菌、コレラ菌やチ
フス菌を中国・逝江省にばらまいた。しかし、日本軍自身やられ、1、700人が死
んだと学者たちは主張している。
これは メッセージ 22264 (fukagawatohei さん)への返信です.