東中野の意図的な食い違いの捏造
投稿者: mrdassennman 投稿日時: 2007/11/26 01:52 投稿番号: [21758 / 41162]
自分の誤訳を根拠に、マギーの主張の食い違いをいう東中野のペテン方法は他の資料をわざと自ら引用せず、たまたま他の訳者が誤訳したらそれを利用するペテン行為なのである。当然、この態度は学者研究者としては認めがたいだろう。
つまり、bayonettedを「突き刺された」と訳せばおきない、大袈裟な東中野の疑問は、以下のとおり殺害された人数についても述べているのである。
「南京虐殺の徹底検証」247ページでは
《日本兵たちが、市内の南東部にある夏家やってきた。日本兵は、8歳と3歳あるいは4歳の2人の子供を残してその家にいたもの全員、13名を殺害した》と述べている。
しかし、元の英文を見る限り、「マギーの言う殺人数の違いは一貫しており、2家族13人のうち、11人が殺され、生き残ったのは8歳と4歳の姉妹2人である。」というものである。
以下殺害人数に関し、述べた文章は
①事例219として日本大使館に抗議されたもの。11人
②マギーのフィルムの解説文として、南京ドイツ大使館公文書綴り日支紛争資料
石田勇治訳文、11人
東中野修道訳文、12人、(誤訳訂正後殺害されたものは11人とマギーが述べている事になる)ここでは直接述べられてはいないが、東中野が自ら割り出した人数を12人としているので、必然的に石田勇治訳では11人となる。
③「笠原十九司南京難民区の百日」13人
(ただし、文庫本296ページ、石田勇治訳文の引用)(証拠提出本とは違うと思われる)従って殺害されたもの11人。13人という東中野の取り上げた数字のある文章は現在の文庫本ではない。しかし上記《日本兵たちが、市内の南東部にある夏家やってきた。日本兵は、8歳と3歳あるいは4歳の2人の子供を残してその家にいたもの全員、13名を殺害した》にあたる英文は(略)when they first entered the city. They killed all the people in the house, thirteen in all, except two children aged eight and three or four respectively,(略)である事は間違いない。これは1月30日のマギー日記の一部である。勿論殺害人数は13人のうち2人を除く11人である。従って殺害されたもの13人は単純な見落としによる誤訳である。
マギーは、新路口事件の現場をフィルムで撮影したときから約2か月後の1938年(昭和13年)4月2日、ニューヨークのマッキム牧師に宛てた書簡の中で、新路口事件に言及して、
「それに一度、わたしがある家に行きましたら、そこでは11人殺されていて、男の人3人のほかは、みんな婦女と子供で、そのうちの一人は76歳のおじいさんでした。子供では一人が1歳にも満たない赤ちゃんだったのを覚えています。5歳(中国の数え年)【原文は「a children of five (Chinese count)」】の幼い子一人だけが助かり、9歳の女の子が銃剣で背中と脇とを刺されたのですが、なんとか快復しました。
これに対する英文は、
I went another time to a house where 11 people had been killed, all of them women and children except three men, one of whom was a 76 year old man. Of the children I remember that one was less than a year old. Only one person was spared, a child of five ( Chinese count ) while a girl of nine was bayoneted in the back and side but recovered.である。
続く
つまり、bayonettedを「突き刺された」と訳せばおきない、大袈裟な東中野の疑問は、以下のとおり殺害された人数についても述べているのである。
「南京虐殺の徹底検証」247ページでは
《日本兵たちが、市内の南東部にある夏家やってきた。日本兵は、8歳と3歳あるいは4歳の2人の子供を残してその家にいたもの全員、13名を殺害した》と述べている。
しかし、元の英文を見る限り、「マギーの言う殺人数の違いは一貫しており、2家族13人のうち、11人が殺され、生き残ったのは8歳と4歳の姉妹2人である。」というものである。
以下殺害人数に関し、述べた文章は
①事例219として日本大使館に抗議されたもの。11人
②マギーのフィルムの解説文として、南京ドイツ大使館公文書綴り日支紛争資料
石田勇治訳文、11人
東中野修道訳文、12人、(誤訳訂正後殺害されたものは11人とマギーが述べている事になる)ここでは直接述べられてはいないが、東中野が自ら割り出した人数を12人としているので、必然的に石田勇治訳では11人となる。
③「笠原十九司南京難民区の百日」13人
(ただし、文庫本296ページ、石田勇治訳文の引用)(証拠提出本とは違うと思われる)従って殺害されたもの11人。13人という東中野の取り上げた数字のある文章は現在の文庫本ではない。しかし上記《日本兵たちが、市内の南東部にある夏家やってきた。日本兵は、8歳と3歳あるいは4歳の2人の子供を残してその家にいたもの全員、13名を殺害した》にあたる英文は(略)when they first entered the city. They killed all the people in the house, thirteen in all, except two children aged eight and three or four respectively,(略)である事は間違いない。これは1月30日のマギー日記の一部である。勿論殺害人数は13人のうち2人を除く11人である。従って殺害されたもの13人は単純な見落としによる誤訳である。
マギーは、新路口事件の現場をフィルムで撮影したときから約2か月後の1938年(昭和13年)4月2日、ニューヨークのマッキム牧師に宛てた書簡の中で、新路口事件に言及して、
「それに一度、わたしがある家に行きましたら、そこでは11人殺されていて、男の人3人のほかは、みんな婦女と子供で、そのうちの一人は76歳のおじいさんでした。子供では一人が1歳にも満たない赤ちゃんだったのを覚えています。5歳(中国の数え年)【原文は「a children of five (Chinese count)」】の幼い子一人だけが助かり、9歳の女の子が銃剣で背中と脇とを刺されたのですが、なんとか快復しました。
これに対する英文は、
I went another time to a house where 11 people had been killed, all of them women and children except three men, one of whom was a 76 year old man. Of the children I remember that one was less than a year old. Only one person was spared, a child of five ( Chinese count ) while a girl of nine was bayoneted in the back and side but recovered.である。
続く