Re: 昭和バカ天の開戦天皇機関説知らんか
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/08/27 06:32 投稿番号: [20867 / 41162]
[編集] 天皇機関説事件
軍部ファシズムの台頭と共に国体明徴運動が起こり、思想・学問の自由は圧迫弾圧されて行き、天皇機関説は国体に反するとして排撃を受け始めた。
1935年(昭和10年)2月19日、貴族院本会議の演説において、菊池武夫議員(男爵・陸軍中将・在郷軍人議員)が、美濃部達吉議員(東京帝国大学名誉教授・帝国学士院代表)の天皇機関説を国体に背く学説であるとして「緩慢なる謀叛であり、明らかなる叛逆になる」とし、美濃部を「学匪」「謀叛人」と面罵非難した。菊池は前年、足利尊氏を評価する記事を10年以上前に同人誌に書いた中島久万吉・商工大臣を「日本の国体を弁えない」と非難して辞任に追いやっている。また、菊池は、南北朝時代に南朝方に従った菊池氏の出身で、天皇を神聖視する陸軍の幹部でもあり、また、右翼団体・国本社とも関係があった。
この菊池の演説をきっかけに軍部・右翼の機関説排撃が激化する。同年2月25日、美濃部が「一身上の弁明」として天皇機関説を平易明瞭に解説する釈明演説を行い、議場からは拍手が起こり、菊池までもがこれならば問題なしと語るに至った。しかし、議場外では右翼団体や在郷軍人会が抗議の声を上げ、中には機関説を誤解して、「畏れ多くも天皇陛下様を機関銃(機関車という説も)に例えるとは何事か」と激怒する者もいた。
美濃部の釈明演説によっても一向に排撃の声は衰えず、演説内容が新聞で報道されると、軍部・右翼の排撃の声はかえって強まった。これに乗じた野党・政友会は、機関説論者である枢密院議長・一木喜徳郎(美濃部の師匠)や法制局長官・金森徳次郎らの失脚、さらには岡田啓介内閣打倒を目論んだ。政府は議会終了後、軍部大臣の要求により、美濃部を取調べるよう指示した。そして、出版法違反を理由にして『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本国憲法ノ基本主義』の3冊の著書を発禁処分とし、文部省は「国体明徴訓令」を発した。さらに、政府は、同年8月3日と10月15日の2回にわたり、「国体明徴声明」を発して、統治権の主体が天皇に存することを明示し、天皇機関説の教授を禁じた。
恭しく惟るに、我国体は天孫降臨の際降し給へる御神勅に依り明示せられたる所にして、万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝祚の栄は天地と倶に窮りなし。・・・もしそれ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使するための機関なりとなすが如きは、これ全く万世無比なる我が国体の本義を愆るものなり。・・・政府は愈々国体の明徴に力を効し、其の精華を発揚せんことを期す。(8月3日の国体明徴声明)
・・・然るに漫りに外国の事例学説を援いて我国体に悖り其本義を愆るの甚だしきものにして、厳に之を芟除せざるべからず、政教其他百般の事項総て万邦無比なる我国体の本義を基とし其真髄を顕揚するを要す。(10月15日の国体明徴声明)
美濃部は内務省警保局長・唐沢俊樹によって不敬罪で告発され、検事局で取調べを受けた。取調べに当たった検事は当然、美濃部の著書で天皇機関説を学び、美濃部が試験官を務めた高等試験司法科試験に合格して検事になっていた。この取調べの結果、美濃部は起訴猶予処分となったが、同年9月18日に貴族院議員を辞職した。翌年、美濃部は天皇機関説に憤激した右翼暴漢に撃たれ重傷を負った。
1937年、文部省は『国體の本義』を発行して全国の教育機関に配布した。その内容は、先の国体明徴声明を踏まえて、天皇機関説は西洋思想の無批判導入であり、機関説問題は西洋思想の影響を受けた一部知識人の弊風に原因があると断じた。
軍部ファシズムの台頭と共に国体明徴運動が起こり、思想・学問の自由は圧迫弾圧されて行き、天皇機関説は国体に反するとして排撃を受け始めた。
1935年(昭和10年)2月19日、貴族院本会議の演説において、菊池武夫議員(男爵・陸軍中将・在郷軍人議員)が、美濃部達吉議員(東京帝国大学名誉教授・帝国学士院代表)の天皇機関説を国体に背く学説であるとして「緩慢なる謀叛であり、明らかなる叛逆になる」とし、美濃部を「学匪」「謀叛人」と面罵非難した。菊池は前年、足利尊氏を評価する記事を10年以上前に同人誌に書いた中島久万吉・商工大臣を「日本の国体を弁えない」と非難して辞任に追いやっている。また、菊池は、南北朝時代に南朝方に従った菊池氏の出身で、天皇を神聖視する陸軍の幹部でもあり、また、右翼団体・国本社とも関係があった。
この菊池の演説をきっかけに軍部・右翼の機関説排撃が激化する。同年2月25日、美濃部が「一身上の弁明」として天皇機関説を平易明瞭に解説する釈明演説を行い、議場からは拍手が起こり、菊池までもがこれならば問題なしと語るに至った。しかし、議場外では右翼団体や在郷軍人会が抗議の声を上げ、中には機関説を誤解して、「畏れ多くも天皇陛下様を機関銃(機関車という説も)に例えるとは何事か」と激怒する者もいた。
美濃部の釈明演説によっても一向に排撃の声は衰えず、演説内容が新聞で報道されると、軍部・右翼の排撃の声はかえって強まった。これに乗じた野党・政友会は、機関説論者である枢密院議長・一木喜徳郎(美濃部の師匠)や法制局長官・金森徳次郎らの失脚、さらには岡田啓介内閣打倒を目論んだ。政府は議会終了後、軍部大臣の要求により、美濃部を取調べるよう指示した。そして、出版法違反を理由にして『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本国憲法ノ基本主義』の3冊の著書を発禁処分とし、文部省は「国体明徴訓令」を発した。さらに、政府は、同年8月3日と10月15日の2回にわたり、「国体明徴声明」を発して、統治権の主体が天皇に存することを明示し、天皇機関説の教授を禁じた。
恭しく惟るに、我国体は天孫降臨の際降し給へる御神勅に依り明示せられたる所にして、万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝祚の栄は天地と倶に窮りなし。・・・もしそれ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使するための機関なりとなすが如きは、これ全く万世無比なる我が国体の本義を愆るものなり。・・・政府は愈々国体の明徴に力を効し、其の精華を発揚せんことを期す。(8月3日の国体明徴声明)
・・・然るに漫りに外国の事例学説を援いて我国体に悖り其本義を愆るの甚だしきものにして、厳に之を芟除せざるべからず、政教其他百般の事項総て万邦無比なる我国体の本義を基とし其真髄を顕揚するを要す。(10月15日の国体明徴声明)
美濃部は内務省警保局長・唐沢俊樹によって不敬罪で告発され、検事局で取調べを受けた。取調べに当たった検事は当然、美濃部の著書で天皇機関説を学び、美濃部が試験官を務めた高等試験司法科試験に合格して検事になっていた。この取調べの結果、美濃部は起訴猶予処分となったが、同年9月18日に貴族院議員を辞職した。翌年、美濃部は天皇機関説に憤激した右翼暴漢に撃たれ重傷を負った。
1937年、文部省は『国體の本義』を発行して全国の教育機関に配布した。その内容は、先の国体明徴声明を踏まえて、天皇機関説は西洋思想の無批判導入であり、機関説問題は西洋思想の影響を受けた一部知識人の弊風に原因があると断じた。
これは メッセージ 20866 (yominokuni56 さん)への返信です.