Re: 志々目証言と称するものに対する考察
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/06/26 00:34 投稿番号: [19539 / 41162]
>秦氏は他に証言者を掘り起こしたようだが(証言に私は懐疑的である)
そのとおりです。
#8169で説明したとおり秦は南京問題では虐殺捏造派として強いバイアスがかかっておりアホ丸出しなので秦の傍証なんていちいち真面目に検証する必要はなく最初から無視しても構わないと思います。
(詳細)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/13309429.htmlただ、今でも秦の研究を論拠にしようとする無知が後を絶たないことも事実ですね。
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日本大学法学会『政経研究』42巻4号
『いわゆる「百人斬り」事件の虚と実』
秦郁彦著
(一部抜粋)
野田が鹿児島を訪問したのは三九年五月に戦地から岐阜へ帰り、八月に北朝鮮の会寧へ転勤 した合い間の七月で、鹿児島一中、付属小、それに父が校長をしていた田代小学校と少なくと も三ヵ所に顔を出したようだ。
その時、鹿児島一中の三年だった日高誠(のち陸士五十八期を卒業)は、野田が全校生徒を前に剣道場で捕虜の据え物斬りの恰好をして見せたのを記憶している。
彼は違和感を持ったが、あとで剣道教師からも「とんでもない所行だ」と戒められたという。
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野田少尉が「逃亡を企てた捕虜を少数斬った話をした」という証言があるので、おそらくそれのことだと思います。
やはり秦はどうしようもないです。
捕虜は捕虜でも逃亡を企てた捕虜の処刑だったことを秦は全く触れていません。
そういう重要な部分を確認しなければならないという意識も秦にはないのでしょう。
反日左翼のHPより
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「百人斬り」東京地裁判決
志々目彰の論稿に関する関係者の陳述
志々目彰の大阪陸軍幼年学校の同期生であるA
『「・・・野田少尉の話は,附属の裁縫室でありました。私たちの組だけでした。上海上陸から南京攻略迄の話,色々の苦労話が主だったのですが,捕虜を切った話もありました。彼が出鱈目に捕虜を切ったわけではないのです。多数の捕虜の中には逃亡を企てる奴等は必ずいる。他の捕虜の見せしめの為には處罰しなければならない。その様な連中を切ったのです。それも百人もと云う多人数ではないと思います。彼が日本刀を抜いて見せた時,歯こぼれが沢山していて,何とかいう名刀も,こんなに歯こぼれがしては使いものにならない。日本刀は,実際の所,実戦では役にたゝない。支那兵は厚い綿入を着ているので,切りつけてもはねかえされてしまう。捕虜を何人か切ったけど,骨迄切り落す事は非常にむつかしい。骨にあたると,此の様に歯がかげてしまう。実際問題として,日本刀は役にたゝない。」』
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これは メッセージ 19493 (thirteen_satan さん)への返信です.
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