Re: 志々目証言と称するものに対する考察
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/06/25 01:55 投稿番号: [19493 / 41162]
まず
>昭和十四年の春だったにちがいない。
秦氏は他に証言者を掘り起こしたようだが(証言に私は懐疑的である)
その調査のなかで
「野田が鹿児島を訪問したのは三九年五月に戦地から岐阜へ帰り、八月に北朝鮮の会寧へ転勤した合い間の七月で、鹿児島一中、付属小、それに父が校長をしていた田代小学校と少なくとも三ヵ所に顔を出したようだ。」
さて7月は春だったのか?
季節を間違う程曖昧な記憶なのに話した内容についてはいやに具体的だ。
戦意高揚の記事として取り上げられ、
本人も郷土の英雄とされる人物が故郷とは言え「実は」なんてやるかどうか。
この辺りも主観が絡むが面妖と感ずる。
>「ニーライライというと、シナ兵はバカだからぞろぞろと出てくる……」という言葉は今でもはっきり覚えている。「ニーライライ」というのは、お前来い来い、という意味だそうだ。
実はこの部分についても火野葦平氏の「土と兵隊」に似通った箇所がある。
「土と兵隊」は掛け値なしの一級資料で、本多勝一も「南京への道」で引用しているのだが
志々目証言がその影響を受けてないとは言えないであろう。
「土と兵隊」は昭和28年に再発刊されており
時系列的に志々目証言の前に位置する。
盗用したとまでは言わないが、実際はどうであったのだろう。
これは メッセージ 19492 (thirteen_satan さん)への返信です.
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