Re: おいおい
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2007/06/03 23:58 投稿番号: [18789 / 41162]
>その「程度」の根拠ならこっちは示してるよ。『続現代史資料6
軍事芸察』と『日本人捕虜』読め、って。
オマエのそれと俺の#18729とでは全然違う。
>で、「南京だけでも1万人以上の支那人を捕虜にした日本軍より、支那事変8年間で一人もマトモに日本人を捕虜にせず反戦兵士にする者以外は投降兵や負傷兵を皆殺しにした支那軍」という根拠は?
―――――
12月13日、光華門城壁を占領 城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長 大内義秀氏(要約)
12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長 大杉浩氏
―――――
支那軍が日本軍将兵を捕虜として保護していた(反戦兵士を除く)記録を示せば俺の主張が間違いだったことが決定するんだから、早く示せよ。
日本軍が支那兵軍将兵を捕虜として保護した記録があるのに、どうして支那軍が日本軍将兵を捕虜として保護した(反戦兵士を除く)記録は全然ないの?
>なんでないと思うの?
あるなら俺のように示せ。
>捕虜情報局の有無が重要な問題であることを認めるのか? と聞いているのにあんたは返事しないだろ? どうなんだよ。重要だ、ってことは認めるのか?
誤魔化すな、逃げるな。
捕虜情報局のことを言い出したのはオマエなのだから、まずは、日本軍が捕虜情報局を作らなかった証明と、支那軍が捕虜情報局を作った証明をしなさい。
>これは記録とは言えんなぁ…。
オマエは何の記録も資料も示さないくせに偉そうなことをを言うな。
昭和12年12月29日付『朝日新聞』に間違いがあるなら、根拠を示して指摘しろ。
━━━━━━
「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日
━━━━━━
――――――
歩兵第38連隊戦闘詳報第12号附表備考
『1、俘虜7,200名ハ第10中隊堯化門附近ヲ守備スヘキ命ヲ受ケ同地ニ在リシガ、14日午前8時30分頃数千名ノ敵白旗ヲ掲ゲテ前進シ来リ午後1時武装ヲ解除シ南京ニ護送セシモノヲ示ス』
第16師団
歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
備考
1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが
14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。
『南京戦史資料集』P594
――――――
なお、城内に収容された捕虜のその後については、『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和十三年一月六日に「三千六百七十人もいるそうだ」と第十六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。約半数が昭和十二年末ころ上海に送られたものと見られ、残りが汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。
『本当はこうだった南京事件』P387 板倉由明著 日本図書刊行会
――――――
これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことはあきらかである。
『南京戦史』P324
――――――
>偉そうに言うんだったらまずは「日本軍による市民殺害はゼロ」という根拠を示しなさいよ。全部読んでもいない『南京戦史』になかった、などと言う笑止千万なやつはダメよ。
日本軍による市民虐殺があるなら、俺のように証拠を示せ。
━━━━━━
1.南京虐殺の犠牲者名簿があると言うが(#18510)、名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?人数は何人?
2.第十軍法務部陣中日誌などに、日本軍による市民殺害が記録されていると言うが(#18567)、何と記録されているのか?
3.戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録があると言うが(#18567)、その記録は、いったい、どのようにあるのか?本当に国民党軍の話か?
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オマエのそれと俺の#18729とでは全然違う。
>で、「南京だけでも1万人以上の支那人を捕虜にした日本軍より、支那事変8年間で一人もマトモに日本人を捕虜にせず反戦兵士にする者以外は投降兵や負傷兵を皆殺しにした支那軍」という根拠は?
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12月13日、光華門城壁を占領 城壁付近で彼我不明の焼死体を発見、まだかすかに息をしていた。これを見た大隊長芳賀少佐は激怒し犯人捜しを命じた。私の部下に犯人はいなかった。検死の結果、焼死体は日本兵と判明。捕虜となった日本兵が、生きたまま焼かれたようだ。
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長 大内義秀氏(要約)
12月13日、南京の南方の城門から入ると、彼我の戦死体が転々と散在していた。その中に、一人の日本兵が手足を立ち木に縛られたまま、身に数弾を受けて死んでいた。一見して、捕虜となった日本兵が支那軍によって虐殺されたと感じ、縄を切って降ろした。
第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長 大杉浩氏
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支那軍が日本軍将兵を捕虜として保護していた(反戦兵士を除く)記録を示せば俺の主張が間違いだったことが決定するんだから、早く示せよ。
日本軍が支那兵軍将兵を捕虜として保護した記録があるのに、どうして支那軍が日本軍将兵を捕虜として保護した(反戦兵士を除く)記録は全然ないの?
>なんでないと思うの?
あるなら俺のように示せ。
>捕虜情報局の有無が重要な問題であることを認めるのか? と聞いているのにあんたは返事しないだろ? どうなんだよ。重要だ、ってことは認めるのか?
誤魔化すな、逃げるな。
捕虜情報局のことを言い出したのはオマエなのだから、まずは、日本軍が捕虜情報局を作らなかった証明と、支那軍が捕虜情報局を作った証明をしなさい。
>これは記録とは言えんなぁ…。
オマエは何の記録も資料も示さないくせに偉そうなことをを言うな。
昭和12年12月29日付『朝日新聞』に間違いがあるなら、根拠を示して指摘しろ。
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「捕虜1万5百」
『朝日新聞』昭和12年12月29日
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歩兵第38連隊戦闘詳報第12号附表備考
『1、俘虜7,200名ハ第10中隊堯化門附近ヲ守備スヘキ命ヲ受ケ同地ニ在リシガ、14日午前8時30分頃数千名ノ敵白旗ヲ掲ゲテ前進シ来リ午後1時武装ヲ解除シ南京ニ護送セシモノヲ示ス』
第16師団
歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
備考
1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが
14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。
『南京戦史資料集』P594
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なお、城内に収容された捕虜のその後については、『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和十三年一月六日に「三千六百七十人もいるそうだ」と第十六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。約半数が昭和十二年末ころ上海に送られたものと見られ、残りが汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。
『本当はこうだった南京事件』P387 板倉由明著 日本図書刊行会
――――――
これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことはあきらかである。
『南京戦史』P324
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>偉そうに言うんだったらまずは「日本軍による市民殺害はゼロ」という根拠を示しなさいよ。全部読んでもいない『南京戦史』になかった、などと言う笑止千万なやつはダメよ。
日本軍による市民虐殺があるなら、俺のように証拠を示せ。
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1.南京虐殺の犠牲者名簿があると言うが(#18510)、名簿って、いつ、どこで、誰が作ったの?人数は何人?
2.第十軍法務部陣中日誌などに、日本軍による市民殺害が記録されていると言うが(#18567)、何と記録されているのか?
3.戦争中に捕虜になって敗戦後に引き渡された日本軍将兵についての記録があると言うが(#18567)、その記録は、いったい、どのようにあるのか?本当に国民党軍の話か?
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これは メッセージ 18755 (cheap_thirll さん)への返信です.