昭和天皇
投稿者: kanbaku9999 投稿日時: 2007/05/01 15:08 投稿番号: [18265 / 41162]
昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持たれた理由を勉強して下さい。
それとも、自分の意見に合わなければ、あの激動の時代の中心として生き抜かれた昭和天皇ですらナイガシロにしますかな、、、
(日本経済新聞2007年4月30日)
A級戦犯合祀、天皇の「不快感」再確認――富田メモ委検証報告
故富田朝彦・元宮内庁長官が書き残した「富田メモ」(日記、手帳)について、日本経済新聞社が設置した社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は30日、最終報告をまとめた。
同委員会は昨年10月から、計11回の会合を重ねメモ全体を検証した。その結果「これまで比較的多く日記などが公表されてきた侍従とは立場が異なる宮内庁トップの数少ない記録で、昭和史研究の貴重な史料だ」と評価。特に昨年7月、本紙が報じたA級戦犯靖国合祀(ごうし)に不快感を示した昭和天皇の発言について「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」との結論に達した。
精査したところ、「明治天皇のお決(め)になって(「た」の意か)お気持を逸脱するのは困る」などと昭和天皇の靖国への思いを記した新たな走り書きが見つかった。日付は1988年5月20日で、天皇が「だから
私あれ以来参拝していない
それが私の心だ」と述べた同年4月28日から約3週間後。
天皇は「松平(永芳)宮司になって
参拝をやめた」と話し、4月のメモでも述べていた「松岡(洋右元外相)」「白取(白鳥敏夫元駐イタリア大使)」の名を5月20日にも繰り返している。
委員会は「昭和天皇が靖国神社の合祀のあり方について、明治天皇の創建の趣旨とは異なっているとの疑問を抱いていたのではないか」と解釈した。
また、88年5月に富田氏が次期長官に藤森昭一宮内庁次長(当時)が決まったことを説明する際、昭和天皇が「後任に政治家でも来てはと思ったが」と話している記述もあった。富田氏の後に政治家が起用されるのではないかと、天皇が心配していたことがうかがえる。
メモにはこれ以外に天皇が政治、経済、国際情勢などを常に気にかけ、宮内庁側も最新の情報を提供するよう配慮していたことが記されている。87年9月に天皇が開腹手術を受け、88年9月に吐血、89年1月に逝去するまでの宮内庁内の動きも詳述。各委員から「六十数年ぶりの代替わりに備える政府内の動きがよくわかる」との指摘が相次いだ。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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