南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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1931年 柳条湖事件 実行犯だよ。

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2007/02/21 06:38 投稿番号: [16524 / 41162]
ソウよ(笑)

だから   あんたのSF的   ねつ造戦史も理解できちゃうのよ(笑)

本庄繁は1931年(昭和6年)8月20日関東軍司令官として旅順に着任した、それから1ヶ月もたたないうちに満州事変が起きる、石原莞爾や板垣といった部下が満州領有の為に謀略事件を起こすのを事前に知らなかった。

軍司令官の本庄が知らぬところで15年戦争の謀略事件を起こし得たのであろうか?
当時、関東軍参謀を務めていた、片倉衷の証言によれば、「本庄さんは満州事変が起こることは知らなかった、事変を起こしたのは石原や板垣で、本庄さんには事前に知らされていなかった」しかも、参謀である、片倉衷自身もこの謀略は知らされてはいなかった。
9月18日夜、柳条湖の爆破事件が起きると片倉衷は旅順の参謀長官舎に駆けつけ「参謀長官舎の前の柳の木の下で、新井、武田、中野といった参謀連中が集まって、「これは謀略くさい」とみんなそう思っていた。しかし、このまま、我々が協力せずに行動を起こさねば第2の河本事件(張作霖爆殺謀略事件)となる、この際、協力して満蒙問題を一気に解決するしかないだろう」と言うこととなった。
本庄は午前0時旅順の司令部に入り、幕僚を集め、かねてから、板垣と通じていた石原参謀は攻撃命令を出すように提言した。

このとき本庄は奉天付近に兵力を集め武装解除を行うという考えであったが、しかし、東北軍と交戦中で苦戦している中隊の隊長   野田中尉は重傷という情報が入り、本庄は軍事行動を決断せざるを得なくなる。

石原が後に東京裁判においての供述では、「本庄司令官は瞑目され沈思黙考約5分間の後、“よろしい   本職の責任においてやろう”と確固たる決意をもって命令をくだされた。」
本庄は石原、板垣の謀略を知らなかったのだが、事件の勃発後、彼らの独断を結局追認してしまい、最終責任者として軍事行動を司令する立場を選んでしまった。、自ら東北軍への攻撃を命令しながら、交渉のテーブルを用意するところに本庄の置かれた複雑な立場が読み取れる。
事件勃発から4日後9月22日奉天市内の瀋陽館に関東軍の首脳が集まり、満州問題の方策についての会議が行われ、石原、板垣は兼ねてからの計画とおり、満州に新国家を建設する案を提出した、その際   片倉衷によれば、「誰を頭首に持ってくるかで議論になり、宣統帝溥儀、弟の溥傑、それから孔子の子孫、長学良を皇帝にしようと諮った土肥原賢二は清朝最後の皇帝宣統帝溥儀の担ぎ出しに奔走する。」
11月8日土肥原賢二は天津で暴動を起こし、その混乱に紛れて溥儀を連れ出し、営口に向かう、そこには大杉栄夫妻を虐殺した甘粕正彦が待ちうけ、溥儀は軟禁され、やがて、満州国の執政に擁立される。

昭和7年(1932年)9月満州事変から1年後、本庄は日本に凱旋する
神戸から東京に至る沿道は「満州国建国の父」本庄将軍を歓迎する人の波が続き9月8日には宮中で天皇から勅語を賜るという栄誉を得た。

このとき、昭和天皇から「満州事変は一部の者の謀略という噂もあるが、、、どうか?」と尋ねられたの対して本庄は「一部軍人、民間人によって謀略が企てられたということは、私も後で聞き及びましたが、関東軍ならびに本職としては、当時断じて謀略はやっておりません」と答え、天皇はこの答えに満足したという。
本庄はこの後、昭和天皇の信頼を得、侍従武官長として天皇の側にあった。
現代史の資料として貴重な記録である「本庄日記」はこの侍従武官長時代に認められたものである。

敗戦の昭和20年11月20日   本庄衷は割腹自殺を遂げた。
本庄は満州事変当時の関東軍司令官として戦犯指名を受けていた。
発見された際、本庄は皇居に向かい、正座し、切腹の作法通りに腹を十文字に切ること三度頚動脈を完全に切り裂いて伏していたという。

「本庄は満州事変の責任を取って自決したと言われるが、何よりも、天皇陛下が戦争の責任を問われることを恐れたのだと、、遺書の中に、満州事変は自分一個の責任によると書いています。本庄は武人としての覚悟を常に息子の一雄に申しております。」
菩提寺の願勝寺には本庄が死の前月にしたためた「満州事変の本質」と題する文書が残されている。」
この文書は東京裁判に提出されることを予想して書かれたものであり、日本の立場を正当化しようと意図されたものである。が本庄の考え方の一端をうかがい知れる。
また、長学良に対して、「もし、当時満州に在ったならば、事変の勃発を未然に防ぎ得なかったとしても、あれほどまでに拡大せず事変をしてかえって転禍為福、日満関係、ひいては日華両国関係を全面的に正常化する端緒たらしめ得たかもしれないのである。
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