南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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どなたか知っている方、韓国併合の背景1

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/12/20 06:39 投稿番号: [15167 / 41162]
1904/02/23    日韓議定書調印
1904/08/22    日韓協約①調印
1905/11/17    日韓協約②調印
1905/12/20    韓国統監府設置   (12/21 伊藤博文を韓国統監に任命)
1907/07/03    伊藤統監、韓国皇帝にハーグ密使事件を追及
1907/07/19    韓国皇帝、譲位の詔勅を発表
1907/07/24    日韓協約③調印
1907/08/01    韓国軍解散式
1909/10/26    伊藤博文射殺事件
1910/08/22    韓国併合   (日韓条約調印

1904/8
日韓議定書を一歩進めるという方針の具体化は、八月二十二日の日韓協約(第一次)の調印によって実現された。この協約は三ヵ条からなり、

(一)韓国政府は日本政府推薦の日本人一名を財政顧問に、
(二)日本政府推薦の外国人一名を外交顧問に任用すること、
(三)韓国政府は外国との条約締結、外国人に対する特権譲与もしくは契約などについては、あらかじめ日本政府と協議すること、

外交顧問に外国人をあてたのは、国際的反響を顧慮したからであり、とくにあまり目立つことをやって、アメリカ、イギリスの世論を失ってはまずいと考えたからであろう。
外交顧問には、アメリカ駐在日本公使館の顧問スチーブンス、財政顧問には、大蔵省主計局長目賀田種太郎があてられた。

とくに第三条が設けられたのは、韓国政府が日韓議定書と矛盾する対外条約、契約などは結べないとしても、それ以外のものは自由であり、外国人の要求に応じて利権を与えることが心配だったからであり、この心配が顧問任用の第一次日韓協約の調印を急がせた最大のモメントになっていた。

韓国政府と目賀田の顧問傭聘契約は十月十五日、スチーブンスとの契約は十二月二十七日締結されたが、それによれば、韓国政府は財政・外交のいっさいの案件は、両顧問の事前の同意がなければ実行できないことになっている。

これで韓国政府は、財政・外交というもっとも重要な部門での実権を失った。これはまさしく併合への第一歩であった。

仁川は韓国の首都京城(ソウル)の外港。いわば日本における横浜のようなところだ。

日韓議定書が調印されたのは、日本軍が仁川に兵を強行上陸させてから2週間後のこと。土足で韓国に踏み込んだ日本軍は「外交」において圧倒的な威力を発揮し、日韓議定書調印の半年後には日韓協約①が結ばれている。

旅順で激戦が続いている頃のことだ。日露戦争のウラで行われた日本の韓国に対する振舞いをレイプにたとえようとする事は不謹慎だろうか。

韓国植民地化の歴史はまさに日露戦争とともに本格化したと言っていい、 その講和条約(ポーツマス条約)では、ロシアが日本の韓国支配を承認し、2ヵ月後、伊藤博文によって日韓協約②が調印される。日露戦争100周年は韓国レイプ100周年でもある。
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