Re: 日本軍人の態度は昔も今も変わらない
投稿者: just_a_watcher2003 投稿日時: 2006/11/10 14:13 投稿番号: [14043 / 41162]
↓大戦終結後。
>そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。
>「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになってスカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。さあ、そのとき、なあんにも知らなかったら赤っ恥でしたねえ。ハネムーンやサーフィンで大人気のバリ島ではなんと!いまでも「皇紀」カレンダーが売っているそうです。
>敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、その半数以上が彼の地の土となりました。このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。
独立宣言に「皇紀」の年号が書かれている。日本をどう思っているか、感謝しているかわかりますね。
>こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんと!日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね。
>そして戦後賠償の問題でも、交渉にあたった国会議長のアルジ=カルタウイナタ氏は日本軍が創設した祖国防衛義勇軍(PETA)の大団長だった人なので、日本軍がインドネシア独立のためにいかに努力したかを肌身にしみて知っていました。そこで彼は岸信介首相に対して「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」と言っていますし、当時のインドネシアでは「むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という声もあがっていたといいます。さて、もうこれで冒頭の歌が半世紀にわたって歌われているという理由は分かっていただけたと思います。今もしもあなたに、ちょっと照れくさいような笑みが浮かんでいたら、それが「誇り」というものかもしれません。
これは メッセージ 14042 (just_a_watcher2003 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/14043.html