帝国主義、侵略
投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/07/26 12:10 投稿番号: [11294 / 41162]
日帝のアジア侵略は悪だ。いや侵略(悪)ではなく自衛であり、アジア近代化であり解放だ。善でありこそすれ悪ではない。
このような発想で論争している者が多いようだが、こういう見方もある。
すべての大国、もしくは列強と呼ばれてきた国々というものは、本質的に力を拡大する傾向を持っているために、ある程度の「力・パワー」(人口・軍事力・経済力の三位一体)を得ると、さらなる安全保障を求めて世界覇権国の地位を目指しはじめる。なぜなら世界制覇をするほどパワフルになってしまえば、誰も挑戦してこようとは思わなくなるからだ。
ところがどの大国にとっても世界覇権を完全に達成するのは無理である。しかし周辺国家を服従させておいて自国の安全保障を確実なものにしておきたいという欲望は残る。
(中略)
まずミアシャイマーの「攻撃的現実主義」という理論の基礎になっているのが「国際政治は権力闘争の場である」という冷酷な視点である。(中略)ミアシャイマーの理論はこの学派の中でも特に大国の行動の攻撃的な面を強調している。だから「攻撃的現実主義」なのだ。
ミアシャイマーの理論の最大の特徴は、なんと言っても国家の行動に対して道義的な優劣の判断、つまり基本的には「良い国家・悪い国家」という判断をしない、ということであろう。
一般的にこの学派では、国際関係というのは国家の持つ権力同士のぶつかりあいの闘争によって生まれる力学的なものだということを基礎にして理論を構築しているのだが、ミアシャイマーの場合は特にこの傾向がはっきりしており、国家というものは本質的には全て同じであり、違うのは各自の持っている「力」のサイズだけだ、という議論の仕方をする。
この様子が良くわかるのが、戦前の日本に対する見方である。
驚いたことに、ミアシャイマーはアメリカの一般的な知識人にありがちが、戦前の日本についての悪口を書く習慣をほとんどもっていない。なぜなら彼は戦前の日本がアジアに拡大しようとした最大の理由は「日本が安全保障を求めていたからだ」と分析しているからである。
(中略)
このように、彼の理論では国家の行動における同義的な部分、つまり「良い・悪い」という性質を問うことがムダだ、ということであり、よって日本の罪がどうしたこうしたとは一言も言わないのである。それよりも彼にとって重要なのは「その国家がどれだけの力を持っているか」だけなのであり、このような見方を基本にすれば、国際政治の動きのかなりの部分を分析して予測することができる、としているのだ。(奥山真司(まさし)「中国も注目するミアシャイマー理論」(「諸君!」2005,9))
ミアシャイマー理論からすれば、大国(列強、帝国)というものは覇権主義的であり究極的には世界制覇(満州事変の中心的人物石原莞爾の世界最終戦争論もこれ)を目指す。周辺の弱小国がその「犠牲」になるのは善悪の問題ではなく弱肉強食の定めということになる。侵略というのは覇権主義の別名だ。
旧日本帝国は覇権主義的侵略的であった。これは善悪の問題ではない。
「侵略」をめぐってまだこの善悪の殻を尻にくっつけているものが多いようだ。善悪の発想からするから日本は邪悪な侵略国だったとか、逆に、いや滅相な侵略などしていないと必死に否定する。
不毛な論争だ。
このような発想で論争している者が多いようだが、こういう見方もある。
すべての大国、もしくは列強と呼ばれてきた国々というものは、本質的に力を拡大する傾向を持っているために、ある程度の「力・パワー」(人口・軍事力・経済力の三位一体)を得ると、さらなる安全保障を求めて世界覇権国の地位を目指しはじめる。なぜなら世界制覇をするほどパワフルになってしまえば、誰も挑戦してこようとは思わなくなるからだ。
ところがどの大国にとっても世界覇権を完全に達成するのは無理である。しかし周辺国家を服従させておいて自国の安全保障を確実なものにしておきたいという欲望は残る。
(中略)
まずミアシャイマーの「攻撃的現実主義」という理論の基礎になっているのが「国際政治は権力闘争の場である」という冷酷な視点である。(中略)ミアシャイマーの理論はこの学派の中でも特に大国の行動の攻撃的な面を強調している。だから「攻撃的現実主義」なのだ。
ミアシャイマーの理論の最大の特徴は、なんと言っても国家の行動に対して道義的な優劣の判断、つまり基本的には「良い国家・悪い国家」という判断をしない、ということであろう。
一般的にこの学派では、国際関係というのは国家の持つ権力同士のぶつかりあいの闘争によって生まれる力学的なものだということを基礎にして理論を構築しているのだが、ミアシャイマーの場合は特にこの傾向がはっきりしており、国家というものは本質的には全て同じであり、違うのは各自の持っている「力」のサイズだけだ、という議論の仕方をする。
この様子が良くわかるのが、戦前の日本に対する見方である。
驚いたことに、ミアシャイマーはアメリカの一般的な知識人にありがちが、戦前の日本についての悪口を書く習慣をほとんどもっていない。なぜなら彼は戦前の日本がアジアに拡大しようとした最大の理由は「日本が安全保障を求めていたからだ」と分析しているからである。
(中略)
このように、彼の理論では国家の行動における同義的な部分、つまり「良い・悪い」という性質を問うことがムダだ、ということであり、よって日本の罪がどうしたこうしたとは一言も言わないのである。それよりも彼にとって重要なのは「その国家がどれだけの力を持っているか」だけなのであり、このような見方を基本にすれば、国際政治の動きのかなりの部分を分析して予測することができる、としているのだ。(奥山真司(まさし)「中国も注目するミアシャイマー理論」(「諸君!」2005,9))
ミアシャイマー理論からすれば、大国(列強、帝国)というものは覇権主義的であり究極的には世界制覇(満州事変の中心的人物石原莞爾の世界最終戦争論もこれ)を目指す。周辺の弱小国がその「犠牲」になるのは善悪の問題ではなく弱肉強食の定めということになる。侵略というのは覇権主義の別名だ。
旧日本帝国は覇権主義的侵略的であった。これは善悪の問題ではない。
「侵略」をめぐってまだこの善悪の殻を尻にくっつけているものが多いようだ。善悪の発想からするから日本は邪悪な侵略国だったとか、逆に、いや滅相な侵略などしていないと必死に否定する。
不毛な論争だ。
これは メッセージ 11276 (monkeybrain132 さん)への返信です.