Re: 領土の法的な意味解っているか?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/25 22:36 投稿番号: [11285 / 41162]
>『清朝からの』ですよね、清国からのとは書かれていないようですが?
清朝でも清国でも良いのだよ。
>しかも、『独立』と書かれているのであって、『分離独立』とは書かれていませんね♪
独立する支那人たちが、「満州と支那は別物」、「満州は支那にとって外国」と認識していたのだから、辛亥革命における『独立』は当然大清帝国(満州帝国)からの『分離独立』を意味するのだよ。
――――――
同盟会創立当時の機関紙民報に「支那革命党の弁駁書」と云う胡漢民の大論文を翻訳して載せてある、其の内容は『国民新聞』が満州政府は支那政府である、何の為に支那人が革命を必要とするかと論及したのに対して、支那と満州は別物である、之を同一視するには支那の歴史を知らぬものであると国民新聞を痛切に駁論して居る処と、孫公が露西亜亡客ドクトルゲルシヨニの懇請を退けて、支那革命は万里の長城以外には関係せぬと断然ことわつて居る処と、・・・
久保田文次編『萱野長知・孫文関係資料集』、232Pより
※萱野長知著『中華民国革命秘笈』序文から抜粋された個所
――――――
胡漢民は「支那と満州は別物」と強く主張し、孫文も「支那革命は万里の長城以北には関係せぬ」と述べていたのが分かる?
――――――
その理由は「革命同志会」の標語は「倒満興漢」であり、清朝を倒して元来満州人である清国政府をその故郷満州に追い返すことを主張していたからである。機関紙『民報』は「日本と革命中国の国民連合」を唱え、孫文以下の指導者も「中国にとっては満州は外国であり、革命成功の後は、満州問題は日本に一任する」と公言していた。彼らは革命後にも漢民族の勢力は満州までは及ばず、清朝は満州帝国を再建して、ロシア帝国と手を結び、漢民族の敵国となるだろうと予想していたのである。
林房雄著『大東亜戦争肯定論』
――――――
【孫文以下の指導者も「中国にとっては満州は外国であり、革命成功の後は、満州問題は日本に一任する」と公言していた。】のだよ。
理解できるか?
>分離独立であれば16の省は16の国家になった事を意味します。
ハァ?
アメリカ合衆国とかは?
俺はオマエが何を言いたいのか良く分からん・・・
支那に属する16省が、大清帝国から独立したということは、支那が満州から分離されたことを意味するのだよ。
>>1911年10月、孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱をおこすと、16の省がつぎつぎと清朝からの独立を宣言。
>独立宣言で国家となり得るなら、『各国代表』ですね♪
アホ杉・・・
アメリカ合衆国は?
もはや、マトモな会話になっていない。
>前政府を国家領域内の一部に押し込めて自治を認めても、分離独立を意味せず、
>自治省として認めた事になるにすぎませんが♪
独立する支那人たちが、「満州と支那は別物」、「満州は支那にとって外国」と認識していたのだから、辛亥革命における『独立』は当然大清帝国(満州帝国)からの『分離独立』を意味するのだよ。
このことは上で紹介した革命・独立時の孫文や胡漢民などのほか、革命・独立から10年以上が経っても支那の指導者に大きな認識の変化はなかった。
――――――
清室の特権の回復について、唐紹儀はこういっている。満州人の征服者は、漢満の結婚にさいして、持参金として満州をもってきた。中国人は清室を追い出したが、してみれば、満州はいまだに清室が合法的に相続すべき財産ではないか。宣統前帝は彼の領土にふたたび君臨することを許されるべきである、と。
『ノース・チャイナ・ヘラルド』1925年10月26日号、ロイター電
――――――
唐紹儀は、1925年においても、満州と支那は別だという認識をしっかり持っていたことが分かるだろ?
さらに、蒋介石は、北京占領後に「北伐の完成」を碧雲寺で亡き孫文に報告している。
つまり、北京で北伐の完成、すなわち、国民革命の一通りの成功を宣言している。
これは、満州と支那は別だという孫文や胡漢民や唐紹儀などの認識と完全に共通している。
そして、また、蒋介石は満州事変で満州国が建国された数年後には、満州国を承認しなければ有り得ない各種取決めを満州国や日本と結んでいる。
>中華民国と清との間で領土分割を合意し、相互承認していますか?
領土分割を合意し、相互承認が必要だとするなら、支那は清国から独立してなかったということ?
清朝でも清国でも良いのだよ。
>しかも、『独立』と書かれているのであって、『分離独立』とは書かれていませんね♪
独立する支那人たちが、「満州と支那は別物」、「満州は支那にとって外国」と認識していたのだから、辛亥革命における『独立』は当然大清帝国(満州帝国)からの『分離独立』を意味するのだよ。
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同盟会創立当時の機関紙民報に「支那革命党の弁駁書」と云う胡漢民の大論文を翻訳して載せてある、其の内容は『国民新聞』が満州政府は支那政府である、何の為に支那人が革命を必要とするかと論及したのに対して、支那と満州は別物である、之を同一視するには支那の歴史を知らぬものであると国民新聞を痛切に駁論して居る処と、孫公が露西亜亡客ドクトルゲルシヨニの懇請を退けて、支那革命は万里の長城以外には関係せぬと断然ことわつて居る処と、・・・
久保田文次編『萱野長知・孫文関係資料集』、232Pより
※萱野長知著『中華民国革命秘笈』序文から抜粋された個所
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胡漢民は「支那と満州は別物」と強く主張し、孫文も「支那革命は万里の長城以北には関係せぬ」と述べていたのが分かる?
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その理由は「革命同志会」の標語は「倒満興漢」であり、清朝を倒して元来満州人である清国政府をその故郷満州に追い返すことを主張していたからである。機関紙『民報』は「日本と革命中国の国民連合」を唱え、孫文以下の指導者も「中国にとっては満州は外国であり、革命成功の後は、満州問題は日本に一任する」と公言していた。彼らは革命後にも漢民族の勢力は満州までは及ばず、清朝は満州帝国を再建して、ロシア帝国と手を結び、漢民族の敵国となるだろうと予想していたのである。
林房雄著『大東亜戦争肯定論』
――――――
【孫文以下の指導者も「中国にとっては満州は外国であり、革命成功の後は、満州問題は日本に一任する」と公言していた。】のだよ。
理解できるか?
>分離独立であれば16の省は16の国家になった事を意味します。
ハァ?
アメリカ合衆国とかは?
俺はオマエが何を言いたいのか良く分からん・・・
支那に属する16省が、大清帝国から独立したということは、支那が満州から分離されたことを意味するのだよ。
>>1911年10月、孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱をおこすと、16の省がつぎつぎと清朝からの独立を宣言。
>独立宣言で国家となり得るなら、『各国代表』ですね♪
アホ杉・・・
アメリカ合衆国は?
もはや、マトモな会話になっていない。
>前政府を国家領域内の一部に押し込めて自治を認めても、分離独立を意味せず、
>自治省として認めた事になるにすぎませんが♪
独立する支那人たちが、「満州と支那は別物」、「満州は支那にとって外国」と認識していたのだから、辛亥革命における『独立』は当然大清帝国(満州帝国)からの『分離独立』を意味するのだよ。
このことは上で紹介した革命・独立時の孫文や胡漢民などのほか、革命・独立から10年以上が経っても支那の指導者に大きな認識の変化はなかった。
――――――
清室の特権の回復について、唐紹儀はこういっている。満州人の征服者は、漢満の結婚にさいして、持参金として満州をもってきた。中国人は清室を追い出したが、してみれば、満州はいまだに清室が合法的に相続すべき財産ではないか。宣統前帝は彼の領土にふたたび君臨することを許されるべきである、と。
『ノース・チャイナ・ヘラルド』1925年10月26日号、ロイター電
――――――
唐紹儀は、1925年においても、満州と支那は別だという認識をしっかり持っていたことが分かるだろ?
さらに、蒋介石は、北京占領後に「北伐の完成」を碧雲寺で亡き孫文に報告している。
つまり、北京で北伐の完成、すなわち、国民革命の一通りの成功を宣言している。
これは、満州と支那は別だという孫文や胡漢民や唐紹儀などの認識と完全に共通している。
そして、また、蒋介石は満州事変で満州国が建国された数年後には、満州国を承認しなければ有り得ない各種取決めを満州国や日本と結んでいる。
>中華民国と清との間で領土分割を合意し、相互承認していますか?
領土分割を合意し、相互承認が必要だとするなら、支那は清国から独立してなかったということ?
これは メッセージ 11282 (T_Ohtaguro さん)への返信です.